これまでの⼈⽣で、⼀番不思議な「誰かの意思」のようなものを感じた出来事があります。


もう17年前の話です。
当時、私の家族は、⽗、⺟、妹、私の4⼈家族でした。

 

 


 

 

家族関係については、いくつかブログに書いてきたし、また別の記事でも書こうと思っていますが、⼦どものころから、⺟や妹に対していろいろと思うことがありました。


いつの頃からか、「私のことを本当に理解してくれるのは⽗だけ」「⽗だけが私の家族」そんなふうに思うようになっていました。そして、いつか⺟と妹とは縁を切ろう、と決めていたんです。


そんな私にとって、唯⼀の家族だと思っていた⽗が、ついに亡くなりました。


その頃、私は離婚して⼀⼈暮らしをしていましたが、都合で⽗の葬儀の間は実家に泊まることになりました。葬儀には娘としてきちんと参加する。そして、葬儀が終わったら、⺟と妹とはもう⼀切関わらない。そう思っていました。


葬儀が終わるまでは、⺟とも妹とも、特に問題なく過ごしていました。
ところが、葬儀の翌⽇。今となっては何が原因だったのか忘れてしまいましたが、⺟と私の間で、いつものような⾔い合いが始まりました。


私はもともと平和主義で、争いや⾔い合いが本当に苦⼿です。⺟とはこれまでにも何度も⾔い合いや喧嘩をしてきました。もう、そういうことに疲れていました。


その⽇に⾃宅へ帰るつもりではいました。でも、「もうこれ以上、この家にはいたくない」「この家を出たら、⼆度とこの家の敷居はまたがない」そう決めて、帰るために⽞関へ向かったその時。



「ピンポーン」インターホンが鳴りました。宅配業者の⽅でした。
そこで⽞関を出そびれてしまい、「この⼈が帰ったら、家を出よう」と思って待つことにしました。


ところが、宅配業者の⽅が帰ったと思ったら……


「ピンポーン」今度は近所の⼈が来ました。⽞関の中に⼊って、⺟といろいろ話し始めます。
仕⽅がないので、私はその⼈が帰るのを待っていました。
ようやく近所の⼈が帰り、「今度こそ」と⽞関へ向かったら……


「ピンポーン」
今度は、妹の知り合いの⽅が弔問に来られました。
しかも、「どういう経緯で⽗が亡くなったことを知ったんだろう?」「なぜ、よりによって今、このタイミングで?」と思うような⽅だったので、私はびっくりしました。


結局、その⽅には家に上がっていただくことになり、そこからまたしばらく家を出られなくなってしまいました。

 


まるで、家を出ようとするたびに、誰かに引き⽌められているみたいでした。
さすがに3回⽬になると、出鼻を挫かれたというか、家を出る気持ちは萎えてしまいました。


結局その後、⺟と妹と3⼈で⾷事に⾏き、そのままへ帰ることになりました。


それから17年、⺟とも妹ともいろいろありました。
でも私は、結局2人と縁を切ることなく過ごし、そして⺟を家族として⾒送ることになりました。


本当に縁を切るつもりだったのなら、いつでも、どんなタイミングでも、切ることはできたのだと思います。


でも、17年前のあの⽇のことを思い出すと、「なんだか、縁を切ることを⽌められたのかも」「まだ縁を切ってはいけない、と⾔われたような気がする」そんなふうに感じることがあります。


もちろん、ただの偶然だったのかもしれませんし、もしかしたら、「あなたは本当に、この⼈たちと縁を切れるの?」という、お試しだったのかもしれません。


今となっては、あれが何だったのかは分かりません。


そして、「家族でいてよかったのか」「縁を切らなくてよかったのか」それについても、まだ答えは出ていません。


ただ、17年前に「ここを出る」と決めた私が、なぜか3度も⾜⽌めされたことは、不思議で今でも忘れられません。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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昔、⼀緒に働いていた同僚とお茶をしたときのことです。


話の中で、彼⼥の娘さんの話になりました。
娘さんは、もともと美術⼤学に⾏きたいと⾔っていたそうです。


でも、同僚は娘さんの将来を考えて、看護⼤学への進学を勧めました。
そして結局、娘さんは看護⼤学へ進学したそうです。


ところが、⼤学3年⽣になり、実習が始まったころ、「看護⼤学を辞めたい」と、娘さんから⾔われたとのこと。


「どうしようかと思っているの」と、同僚は話していました。


そこで私は、同僚と娘さんの⽣年⽉⽇を聞いて、数秘の「軌道数」を出してみました。

すると、同僚は「7」娘さんは「3」でした。

 

 

もちろん、これは軌道数という⼀つの数字だけを⾒たものなので、これだけでその⼈のことを判断することはできません。


ただ、数秘3には、表現することや、⾃分の感性を形にすることが好きだったり、得意だったりする傾向があります。
そう考えると、「娘さんは、美術⼤学に進むほうが、⾃分らしさを活かせた可能性もあったのかもしれない」そんなふうに感じました。


⼀⽅、数秘7は、じっくり考えたり、物事を分析したりすることが得意な数字です。
話を聞いていると、むしろ同僚本⼈のほうが、看護師という仕事に向いているのではないかと思ったほどでした。


もちろん、これはあくまでも数秘から⾒た⼀つの可能性にすぎません。


ただ、私はこれまで看護師の⽅たちと仕事をしてきた経験から、看護師はとても適性が問われる仕事だと感じています。⼈の命や健康に関わる仕事ですし、誰でも簡単にできる仕事ではありません。


だからこそ、「将来、安定しているから」「資格を取っておけば安⼼だから」という理由だけで進路を決めてしまうのは、少し違うのではないかな……と 思うのです。


同僚も、もちろん娘さんのことを思って看護⼤学を勧めたのでしょう。
親として、娘の将来を考えてのことだったのだと思います。
「⼿に職をつけて、安定した仕事に就いてほしい」そんな気持ちだったのかもしれません。その気持ちは、とてもよくわかります。


親の「よかれと思って」は、⼦どもを思う気持ちから⽣まれるものです。だからこそ、とても美しい親⼼だと思います。


でも、その「よかれと思って」が、いつの間にか⼦ども本⼈の望んでいる⽅向と、ずれてしまうこともあるのかもしれません。


もし娘さんが本当に美術をやりたかったのだとしたら、美術⼤学を受験してみるという道もあったのではないかな……と 思います。


もちろん、美術の道が看護師ほど⼿堅いとは限りません。
でも、今は昔とは違って、さまざまな⽅法で⾃分の作品や才能を世の中に届けることができます。SNSを使って作品を発信することもできるし、⾃分で仕事につなげていくこともできる。


好きなことだからこそ、夢中になれる。夢中になれるからこそ、そこにエネルギーを注ぐことができる。そして、そこから思いもよらない道が開けることだってあると思います。


だから私は、「⼦どもに何をさせるか」を考える前に、「この⼦は、本当は何をしたいのだろう?」と、⼀度⽴ち⽌まって考えてみることが⼤切なのではないかなと思います。


親が⼦どもの⼈⽣を⼼配するのは、当然のこと。できれば苦労してほしくないし、安定した⼈⽣を歩んでほしい。それも、愛情です。


でも、⼦どもの⼈⽣を⽣きるのは、親ではありません。最後にその⼈⽣を歩いていくのは、⼦ども⾃⾝です。


だからこそ、「あなたはどうしたい?」と、本⼈の声に⽿を傾けること。


親の「よかれと思って」と、⼦ども⾃⾝が望む⼈⽣。その⼆つが同じ⽅向を向いているとは限りません。
「あなたのために」と思うときほど、本当にそれは「あなたが望んでいること」なのか。そんなふうに、⼀度問いかけてみることも⼤切なのかもしれません。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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母が亡くなって、早10日くらい経った

 

 

この間に葬儀も終え、母がお骨になって

家に帰ってきました



ここから四十九日の納骨まで、
母と最後の時間を過ごします

 

 

 

私には「母が亡くなる」という

イメージがあまりなかった

 

 

というのも、

食欲旺盛な人だったし、

子供のころの母の印象は

「いつも怒ってる」という感じ

 

 

エネルギーが強く、生命力がすごそう

私より長生きするんじゃないか?と

ずっと思っていたくらい

 

 

そんな感じの人だったから、

亡くなったのは、想定外



思ったよりもあっけなかった
というのが正直な気持ちです

 

 

 

母が亡くなってから、時折涙はでるものの、

思ったよりも泣けません

 

 

葬儀でも、斎場でも

結局ほとんど泣けなかった

 

 

父が亡くなった時のほうが

もっと泣いていたかもしれない

 

 

 

オーラソーマのボトル

48番の「変化の翼」

 

 

母のお骨のそばに置いてある

綺麗なお花の組み合わせを見て、

このボトルのことを思い出した

 

 

このボトルの名前、

以前は「癒しの翼」だったのが

いつの間にか変わっていました

 

 

この「変化の翼」のボトルから

色々気づいたことがありました

 

 

顕在意識では、母の死を

実感して悲しんでいるけれど、

まだ潜在意識では、受け入れられて

いないのかもしれないということ

 

 

流れていない涙がまだまだ、
たくさん溜まっているみたい

ということ

 

 

私は母が本当に嫌いだったけど、

「嫌い嫌いも好きのうち」って

いうように、


実は心の底では、
好きだったのかもしれません

 

 

「母の死」という変化に慣れて

落ち着くまでには

まだ少し時間がかかりそうです

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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