自分の立ち位置 | lamer1971のブログ

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空気感を表現する方法が哲学で発明され、それが前世紀中盤にドイツからフランス経由で世界中で読まれた。日本でも、西田幾太郎配下の京都学派が極め尽くした。絵画や音楽が先行したのは言うまでも無い。印象派とは、そういうものであった。

それが、日本の「風土」だとか「時間感覚」だとかの強調につながり、それが日本の美意識の再発見となった。そのインテリの系譜が、最近まで残っていて、ホテル・オークラ旧館などに反映されていた。日本の奥の院とも言うべき高級な美意識の世界の完成だが、伝統芸能や工芸と結びついて今でも規範的美意識となっている。世界的に見ても、実存主義から時空間の捉え直しへという経路での美意識の構築という流れは変わっておらず、絵画史が印象派とそれ以降という分類を保っていることからも、モダンな美意識というのは変わらない。

モダニズムの美意識というのが、「空気感」の取り戻しというべき現代の反動であったが、反動的だからこそ、規範的美意識にもなりおおせたのだ。

モダニズムを表現したいならば、建築家を目指すべきであっただろう。あるいは、反動的美意識を表現したいならば、蒔絵の職人に弟子入りすべきであっただろう。

モダニズムの時代ということを受け入れて生きていくというのが、自分の立ち位置であった。実作者では無いのだから、消費者に留まるほかない。絵の批評はバカでもできるが、絵を描くには才能がいる。その才能が無いからこそ、現世を生きることにしたのだから、そこは文化的なものと関係がない人生だった。理解できるのと、実作するのとは100光年の違いがある。