昨日、スペインにいるパートナー、マルから電話があった。
マルのお父さんが亡くなり、あれから3日。彼からの初めての電話だった。
どうしてるのかなーと思いながら、でも葬式や埋葬などで忙しいのだろう、とこちらから連絡は控えていたのだ。
マルはお父さんの様子が悪い、(今まで数回悪くなっていたのだけど)、今回は深刻だと判断し、飛行機を速攻取った。その飛行機に合わせてロンドンまでの電車を取り、早朝3時に車でケンブリッジまで送りに行った。
そしてお父さんはその日の夜に亡くなったのだ。
マルは4人兄弟の2番目。一番上の姉はデンマークに住む。彼女は間に合わなかった。3番目の妹、、彼女はスペインにいるにも関わらず、間に合わず。一番下のホルヘ、彼が一番両親の近くに住み、また両親がずっと営んできたパブを引き継いで経営している。マルとホルヘ、そしてお母さんの三人に見守られ、そして最後まで意識があったらしい。右手にホルヘ、左手にマル、手を繋いで静かにこの世を去ったそう。デンマークに住むクリスティーナが会いに来くるから、もうちょっと待って!とお母さんはどうにか息を繋いでほしいと懸命だったそうだが、その努力は報われなかった。
私が想像する通り、マルも残されたお母さんが心配だという。
ずーっとお父さんのために毎日買い物、料理、薬を用意したり、散歩に付き合ったり、翻弄していたお母さんは今、お父さんを亡くし、やる気もくそも無いわけだ。あのしっかりしたお母さん、いつも休むことなく働いてるお母さんを想像すると、いつもお母さんに対して腹を立てていた私でも涙が流れるのである。
私は23歳の誕生日を迎えて10日後、母を亡くした。余命3か月と癌宣告を受けた後1年半生き延びた私の母。便りのない私を残すまいと懸命に生き延びてくれた母。離婚した後、父親と顔を合わすことが無かったので私はずっと母と二人暮らしだった。
葬儀まではみんなが周りにいてくれ、忙しさのあまり、母を亡くした実感があまりわかない。
悲しみが津波のようにやってくるのは、友達や親せきが去った後なのだ。どれだけお母さんが辛い思いをしているのかは手に取るようにわかる。私は若かった。鬱のようになり仕事に行かず大阪駅で時間をつぶすことが多くなった私だが、職場の友達、学校の友達、みんなに助けられた。若かったから前に進むしかなかった。
マルのお母さんははっきり知らないけどおそらく70代。一番大事な人を亡くし、4人の子供がいても上の二人は海外にいつか帰ってしまう。一番下のホルヘはパブ経営で仕事に戻らなければならない。3番目の妹はあまりにも便りが無い。
10日後に私は楽しみにしていたコースがある。おそらくマルは今月いっぱいはスペインで過ごすんじゃないかな~と思う。お母さんの心の痛みがわかるだけに、早く帰ってこいとは言えない私なのである。