My Quest Restart

My Quest Restart

振り返ると、肩肘張った、結構な急ぎ旅だったように思う。
木枯らし紋次郎のごと、宛がないのに何故あんなにもせかせかと歩き続けたのか。
立ち止まってみると、結局な~んにも解っちゃいないことが解った。
立ちすくむのも癪だから、もう少し歩いてみよう。

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繰り言

ブログを書くのには多大なエネルギーがいります。
現在、もっぱらアメリカン・ポップスの勉強に夢中な小生には、大きな重荷で、
前のブログを書いてから、随分時間がたってしまいました。
 
前回は、少し頭の柔軟体操の意図もあって、物理学の超弦理論の上っ面を、
スピリチャリズムな風景に無理やり持ちこんでブログを書きました。
目に見えない世界と超弦理論とを無理やり関係づけようとしました。

小生は IT(コンピュータ関連、システム設計者)で40年も飯を食べてきた人間で、ディジタル人間を永くやってきました。
もっぱら、アナログな実社会の一部を、コンピュータが対応可能な曖昧さのないディジタルのシステムに置き換えるのが仕事でした。
そして、我々コンピュータ屋はよく ”可視化”、という言葉を使いますが、見えないものを見えるようにする、のも大きなテーマです。
最近ハヤリのビッグデータなどは、この切り口でのスターです。
 
しかし、ま、人間に見えているものなど、実世界の一部なんですね。
本当は、見えないものが大切なのでしょうが、見えなければ、人間の頭脳では扱いが困難で、”ふ~む”、と不思議がっているしかないわけです。
でも、それで諦めていては、人間は少しも幸せにはなれないようです。
戦争も無くせないし、泣きじゃくる赤ん坊を納得させることも出来ない。
 
前回のブログを書いてから、NHKがこの”不思議”について色々番組を制作しています。

昨年の12月の終わりに、「神の数式、超弦理論 
第4回 異次元宇宙は存在するか~超弦理論革命” ~」 が、NHK BSで放送され、
そして、
この一月に、NHK BS で2回にわたって超常現象の放送がありました。
これは地上波でも再放送されました。

”死後の世界に迫る
「ザ・プレミアム 超常現象 第1集 さまよえる魂の行方」”

”幽霊、生まれ変わり、透視、テレパシー…。超常現象を、
科学的に解明しようという試みが始まった!
「ザ・プレミアム 超常現象 第2集 秘められた未知のパワー~超能力~」”

NHKの番組を見ていて思ったことは、’またか’、の失望感です。
大きく煽っておいてから、何も答えを出さない。
結局、超常現象なんてありえないのだけれど、でも不思議だよね~、で終わり。
こんなことをいつまで続けるのか・・・
 

超常現象は情報空間に存在する

 たまたまテレビを見ていて、偶然に、アメリカの著名な理論物理学者 リサ・ランドールさんのインタビュー番組もみました。
彼女は、プリンストン大学、MIT、ハーバード大学で理論物理での終身在職権を得る大変な才女で、そして、大変美しい方です。ふむ。
彼女は、(3次元空間+時間)の4次元に、新たに重力の1次元を加えた5次元の存在を主張します。
重力の微弱さの謎を説明し、超弦理論の閉塞を打破する、有力な理論らしい。

11次元か5次元か?、の議論は後回しにして、小生が気になったのは、
その番組の司会者として参加していた若い女性の、
不思議が怖い”、
との発言
に対する、彼女の反応でした。

不思議を怖い、と感じて宗教に思索を委ねる人々と、不思議を解明したい、という研究者の2種類の人間がいる”、と、彼女は喝破しました。
それが彼女の新刊の書の主張でもあるらしい。
科学 = 物理学者
非科学 = 神秘主義者
 
この
 リサ・ランドールさんの言葉を頭に置いていた小生は、ある”求道者”の方との会話の中で、安易にこの二者択一みたいな発言を真似てしまって、後で酷く後悔させられました。

見えないものの不思議を感じるときに人がとる行動は、
リサ・ランドールさんのいう二者択一だけではなく、複数のグループに区分けできるのだろう、と小生は思います。
例えば、
① 神秘主義者、宗教家など
② 
求道者、思想家、哲学者、情報学者など
③ 生物学者、心理学者、脳科学者など
④ 現実主義者、物理学者、自然科学者など

④の立ち位置が明確な
リサ・ランドールさんにとっては、みえないものを大切に考える” というグループを、スピリチュアリストとして、非科学的なものとして峻別し、①に纏めて放り込んでいるよに見えます。
しかし小生は、”みえないものを大切に考える’、グループにも①②③の三つのグループがあるように思います。

たまたま、茂木健一郎さんと江原啓之さんの、
「偶有性の幸福論」、2008年11月28日初版
を読んでみたのですが、
さしずめ、
江原啓之さんが①の立場、茂木健一郎さんは著名な脳科学者ですが、②③の立場のように理解しました。
お二人とも、”みえないものを大切に考える”、という点では一致している。

 
さて、NHK番組の視座は、
リサ・ランドールさんと基本的には同じで、科学で超常現象が解明できるか否か、というのがテーマらしい。
不思議を科学的(物理学的)に実証出来れば、
超常現象はあるといえる、とする。

しかし、こんな方法では、霊の存在などは実証のしようがないだろうと思う。
小生は、超常現象などを物理学などの既存科学だけで料理しようというのが古臭いアプローチで、結局落としどころも陳腐なものにならざるをえないのだ、と考えています。
物理的な存在の有無が、実社会での存在の有無の全てなのか。

超常現象は物理空間では捉えようがないけれども、情報空間には存在するのではないか。
 
物理空間と
情報空間の関係は、前のブログで色々勝手なことを書きました。、


「人間の身体に散りばめられた五感が脳内に映し出す5次元と、プラスする意識
の1次元が、6次元の情報空間を構成しているのではないか。
「超弦理論」が別格に置く時間次元が脳内で意識と密接に絡み合い、実質的に7次元の情報空間をなしているのではないか。
意識と情報空間での時間が別々の弦ではなく、お互いに密接に結合し、膜を構成していると考える。
3次元の物理空間、7次元の情報空間、1時限の物理時間、全部で11次元だ。

まともな物理学者であれば、小生のこんな妄想を一瞥だにしないでしょう。
けれども、物理学の「超弦理論」など、あるいは”神の数式”などと崇拝される論理展開も、所詮数式、つまり人間の頭脳の産物です。
そして、”実験で確かめられる”、という科学の方法論も、自然対象をマクロに捉え、その正当性を統計学で担保しているにすぎない。

一方で、状況依存で、一つ一つの選択の分岐が統合されていく複雑系の実世界、我々人間が右往左往する人間世界の偶有性(後で論じる)などは、再実験のしようなどないものばかりである。
さらには、最近の脳科学でも明らかなように、人間の五感は錯覚の固まりで、正確に物理的な現実を脳にインプットしているわけではない。
外界の物理的な状況が間違って脳にインプットされても、脳が、人間が信じ、例えば自分の命を絶ってしまうことが起きた場合、何が現実なのか。

物理的に再現できないものは、存在しない、という論考だけで、いいのだろうか?


一方で、万能に見える科学の方法論にも限界はある。
我々が実験計画法などの統計的手法で馴染んでいる正規分布は、実験結果は平均値に収束するので、再現性を確認し易い。再現可能の世界だ。
しかしこの分布の前提は、事象がサイコロの目のようにお互いに独立であることである。


                         べき分布と正規分布

べき分布と正規分布

ところが実世界の事象は独立などしておらず、べき分布が多いらしい。
そしてべき分布には平均値など無意味なのだ。
実世界は複雑系で、事象は状況依存で、偶然(?)とその時点での選択が大きな役割を果たし、平均値など存在しない。 それゆえ再現性を実証するのはきわめて困難だ。
自然現象における地震の観測値もこのべき分布で表現され、頻度が千年に一度でも壊滅的な大きさが存在するロングテールを描く。
不幸な東日本大震災の背景はマクロな統計としては説明出来るが、個別的な地震予知は、先ず不可能である。

つまり、自然現象においても、再現性での実証など、簡単ではないということだ。




情報空間は存在するか


では、情報空間は本当に実世界で存在するのだろうか。
小生は、
多元世界の構成要素として確かに存在すると考えている。

例えば、カーナビやスマフォのナビゲーションを考えれば、物理空間と密接に絡んだ情報空間が存在すると考えるのは至極当然だろう。
知らない土地を迷いながら辿るエネルギーや時間の消費量と、ナビゲーションに従って目的地に達する消費エネルギーには顕著な差がある。
エネルギーや運動量が、情報量によって大きく影響される事実を、物理学者はどう説明するのだろうか。
それとこれとは違う、でいいのだろうか。

世界は多元的なのだろうと思う。
物理空間の原理だけで閉じて動いているとはとても考えられない。
地球には生命があり、人間が這い回っているのだ。

桓武天皇が怨霊を信じなければ、今の京都は存在しなかったのだろう。
とすれば、実自然世界の大きな物理的な変化が、情報と密接に絡んでいるのは否定しようがないではないか。
地球環境問題なども、その意味で、大きな岐路に立たされていることになる。
 
前のブログでも触れたように、物理学者の考え方も変わってきているらしい。

「日経サイエンス3月号を引用した日経新聞記事 (社会のジレンマを量子力学で解消?)では、

”情報の獲得によって確率的な予測が変化する主観確率が量子力学現象や人間の意思決定の共通の基盤となっている可能性があり、現代物理学と、人間の意思を語る枠組みには、隠れた共通項があるのかもしれない、”、と述べている。


参照: ”揺らぐ境界 非実在が動かす実在、日経サイエンス、2013/7月号
           ”情報から生まれる 量子力学、日経サイエンス、2013/7月号
           ”Qビズム 量子力学の新解釈、日経サイエンス、2013/7月号



驚いたのは、Qビズムでは、自然科学系の統計学者が忌み嫌う、ベイズ理論の主観確率で、物理事象を論じていることである。


下図に、小生が想う多元世界を描いてみた。

前回のブログと行ったり来たりしていただくと、説明が省ける。
 

多元世界の構成

偶有性とマクロな世界


物理空間では、過去は流れ去ってしまうが、それは情報空間にキャプチャされて残っている。
何時でも、懐かしい人や情景と触れ合うことは出来るのだ。
情報空間と物理空間をつなぐものは人間の五感を含めたメディアであるが、外在化されたメディアの空間占拠が圧倒的になり、本来の
往来の回路となる紐や膜は逆に埋没しがちになっている。

情報空間と生命空間が別になっているのは、を論じるためである。

実は、2005年度の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、主演の寺尾聰が最優秀主演男優賞をもらった、”半落ち”という映画をみて、大きな影響を受けた。
映画では、主人公がアルツハイマーで魂を無くしてしまった(?)妻を安楽死させるのですが、情報空間を論じるうえで考えさせられるテーマとなった。

自爆テロの理不尽さも、この大きなテーマが顕在化した一つなのかもしれない。 


心や魂などのキーワードで、”見えないもの”を見ている読者は、”情報”というくくりには強く反発されるだろうと思う。
心や魂、スピリットが彷徨う目に見えない空間は、不可解ですが、人間にとっては昔から大切な領域です。
それをディジタル的な情報という言葉で纏めてしまうのは乱暴すぎないか。

一方で、計算機系の技術進歩やインターネット、SNSの暴発は、人間行動や社会の動きをさらに複雑にしています。カオスになりやすい。

日本をとりまく環境も日々緊張の度を増しています。
緊張は、心を硬くし、いつしか柔らかなやまとごころあらたまとして暴発するかもしれない。
 
日本人の心の世界を、世界の人々と共有するためにも、情報空間という乾いたアプローチが重要だと考えています。
グローバル化のカオスは、お互いが、見えないものの価値を少しでも見える化する思考のしなやかさを獲得することによって、乗り切ることが出来るのでしょう。