そして、どうすれば未来が、すこしでも見えるようになるのだろうか。
小生の想いは、膨大な不確実さを前に戸惑う日本の閉塞感を打ち破るため、未来を少しでも設計できる、新しい情報アーキテクチャ 2.0 の構想を描くことにある。
妄想である。
3次元の単調なメビウスの環には、実は隠された未知(?)の6次元の空間がまとわりついているのだ。
殺風景な3次元のメビウスの環で見える旅路の回りには、実は、眼が眩くような6次元の多彩な事象が散りばめられているのだ。
単調なループなどでは表現され得ない、6次の自由度の、My Quest, 冒険の旅が待っている。
大半の読者の方は、「超弦理論」は宇宙の起源を論ずるために展開される、ミクロな物理世界の究極の素粒子論であって、それを人生論などに当てはめるなど笑止千万で、まがい物の論理の極みだ、と、全く相手にされないかもしれない。
ましてや奇妙な図のイメージを借りて論を展開するなど、正気の沙汰ではないと。
しかし、小生の妄想も、そんなにいい加減なことでもないのである。
というのは、最近の物理学者の主張には、かってなかったような広がりが出てきているらしい。
日経サイエンス10月号を引用した日経新聞記事(「シュレーディンガーの鳥」は実在? 生命の中の量子世界を探せ)では、”世界はあらゆるスケールにおいて量子力学の法則に従い、古典力学はその便利な近似にすぎない。ある大きさよりも大きくなったら古典世界がカムバックすると思っている物理学者は、今やほとんどいない。われわれは、実は量子世界に住んでいるのかもしれない。”とある。
隠れた6次元空間は、情報空間か
では何故この6次元の空間が我々の五感で物理的に直接認識できないのだろうか。
それは、この空間が情報空間であること、もっと言えば脳内に展開される空間だから、と考えられる。
そして、さらに妄想を続ければ、
この6次元は、人間の身体に散りばめられた五感が脳内に映し出す5次元と、プラスする意識の1次元が、6次元の情報空間を構成しているのだ、となる。
さらに小生は、「超弦理論」が別格に置く時間次元が脳内で意識と密接に絡み合い、実質的に7次元の情報空間をなしているのではないか、とも考える。
意識と情報空間での時間が別々の弦ではなく、お互いに密接に結合し、膜を構成していると考える。
3次元の物理空間、7次元の情報空間、1時限の物理時間、全部で11次元だ。
物理学においても、10次元の超弦理論が、結合定数を大きくしていくと、11次元の時空間の超重力理論になってしまうらしい。
ここまで妄想を広げると、もうとても付いていけない、という呻き(?)が聞こえそうである。
しかし、再び云いたい。小生の妄想は、そんなにいい加減なことでもないのである。
日経サイエンス3月号を引用した日経新聞記事 (社会のジレンマを量子力学で解消?)では、
”情報の獲得によって確率的な予測が変化する主観確率が量子力学現象や人間の意思決定の共通の基盤となっている可能性があり、現代物理学と、人間の意思を語る枠組みには、隠れた共通項があるのかもしれない、”、と述べている。
参照: ”揺らぐ境界 非実在が動かす実在、日経サイエンス、2013/7月号
”情報から生まれる 量子力学、日経サイエンス、2013/7月号
”Qビズム 量子力学の新解釈、日経サイエンス、2013/7月号
Tears in Heaven
さて、この6(7)次元の情報空間とは、どんな構造になっているのだろう。
メビウスの環の3次元の世界は、物理的な時間にそって、過去も未来も流れ去っていく無常の世界であった。
6次元の情報空間では、過去は切刻写像で、脳に記録(記憶)されている。
右脳的な認知系では、五感が脳内に映し出す5次元と、プラスする意識の1次元が、6次元の情報空間を構成しているのだ、と考えたが、左脳的な情報空間の切口では5W、Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)したのか、の5次元と意識の6次元で構成されるのかもしれない。
HOWやHow Much は、人間が獲得した技術論として、既存の認知系の次元に埋め込まれていくのだろうか。
さて、前のブログでも触れたように、「心はひとりじゃ生まれなかった」。
情報空間が脳内に展開されるとしても、他者との社会的な共有が必須である。
意識で拾った自分の脳に記録された写像と、外から他者の眼でビデオ撮りされた写像が合成されるとき、情報空間は完成され、実世界的になる。
以上のような情報空間の妄想をイメージ図にしたのが下図である。
さて、愛しい人と天国で出会った時、お互いを見分けられるのだろうか・・
情報空間では、過去のシーンと現在の自分の立ち位置は、量子論的に両方が同時に揺れながら存在するのだろう。
"Tears In Heaven" は、1992年に発表されたエリック・クラプトンの楽曲である。
この曲は、事故で、4歳で他界した彼の息子の死を悼んで作られた歌である。
Would you know my name
If I saw you in heaven
Will it be the same
If I saw you in heaven
I must be strong, and carry on
Cause I know I don't belong Here in heaven
・・・・・・


