久々にこっちのブログを読み返して、あーほんとこんな頻度で揉めてたなって思いだいました。
実家の両親の事。
表のブログの方には書いてないから、忘れてた色んなことがあって。
読み返しながら「あーーーそうだったわ」と。
こんなひどいことあったんだ、こんな面倒な事、あったったと。
で、2021年現在、縁切ってます。
読み返してうまく行くはずなかったと改めて思い、自分の判断は間違ってなかったなと。
2020年夏に、激しい諍いの末正式に縁を切った次第。
それからの生活、何の不便も無い。
きっかけは、兄。
幼いころから殴られ、間接技をかけられたり気絶ゲームの実験台にされたり。
母がパートでかぎっ子だった小学生時代、退屈しのぎの果てしない嫌がらせ。
真冬にチェーンをかけて締め出す、トイレにも行かせてもらえず漏らす。
私物の破壊、お金の恐喝とフルコースにやられていました。
兄は外見が良かったし、運動が出来たのでやんちゃグループ。
私は地味だった。
デブ、ブス、クズ、生きてる価値無し、名乗るな、学校来るな、自尊心ぺちゃんこの日々があり。
ある程度大人になりまともになった兄と、「普通に話せる」ことが嬉しく。
私は自分をずーっと下の位置に考えてたから、天上人と話せてるみたいな洗脳があったのでしょうね。
数年前のある日、家族での食事で昔話に花が咲いたときに彼が言ったのです。
「おれ、お前に小便飲ませたりしてたよなぁー」。
私、びっくりすることに記憶から消えていたんです。ショック過ぎたんでしょうね。
そう、小学生低学年のある朝、両親が起きる前に兄に起こされ、自室で「ちんちん口に入れろ」
泣いて抵抗したけど「ぶっころす」と脅され、屈して、口の中にそのまま放尿されたのでした。
頭が真っ白になるようなショックを隠しつつ、「謝って」と言ったら「嫌だ」と大爆笑。
驚くことは、それを初めて知った両親は一緒に大笑いしたこと。
ここからは要約しますが、後日そのことをカウンセリングで話し、あまりに酷いと。
私両親に電話をし、何故叱らず笑ったのか、それがショックだったと涙ながらに訴え、兄にそれについては謝らせて欲しいと。
両親は必ずそうすると約束。
その後3年、家族で集まる機会あっても何にもなし。
2020年夏、沖縄から兄帰省時に、もう話してほしいと両親に懇願して話してもらう。(母、文句すごい)
兄:→謝らない、あいつが悪い
両親:→謝らないもんは仕方が無い、あいつにも事情がetc・・・結局お前達2人の問題、日にちずらして帰省すれば
後日電話で・・・
私夫:→許すのか、おとがめなしか、親として怒ってくれないのか
両親:→兄は可愛いがお前は正直可愛くないし中絶すれば良かった、兄が正しいからそちらの味方
で、もはや死んでも葬式に出ることも無い、連絡も不要という絶縁を致しました。
決定的過ぎてもはやスッパリ。
で、夫が俺が君のお母さんになる。
お父さんにもなる。
俺が両親になる、何にも問題ないから、と言ってくれた。
息子には正直に話した。電話での会話もかなり聞いてしまったから。
気にしないで、ママに酷いことした人と会いたくない、と。
そんな訳で、ずっとひどい目に遭わされていた毒親から解放されてから1年と少し。
たまに悪夢にうなされることはまだあるけど。
やっと自分の人生を、雑音無しで始められたと感じているこの頃です。