ココロの病気とつきあう(新米ママ)

ココロの病気とつきあう(新米ママ)

2012/03出産
メンタル疾患あり、毒親育ち

Amebaでブログを始めよう!

久々にこっちのブログを読み返して、あーほんとこんな頻度で揉めてたなって思いだいました。

 

実家の両親の事。

 

表のブログの方には書いてないから、忘れてた色んなことがあって。

読み返しながら「あーーーそうだったわ」と。

 

こんなひどいことあったんだ、こんな面倒な事、あったったと。

 

で、2021年現在、縁切ってます。

読み返してうまく行くはずなかったと改めて思い、自分の判断は間違ってなかったなと。

 

2020年夏に、激しい諍いの末正式に縁を切った次第。

それからの生活、何の不便も無い。

 

きっかけは、兄。

 

幼いころから殴られ、間接技をかけられたり気絶ゲームの実験台にされたり。

母がパートでかぎっ子だった小学生時代、退屈しのぎの果てしない嫌がらせ。

真冬にチェーンをかけて締め出す、トイレにも行かせてもらえず漏らす。

私物の破壊、お金の恐喝とフルコースにやられていました。

 

兄は外見が良かったし、運動が出来たのでやんちゃグループ。

私は地味だった。

デブ、ブス、クズ、生きてる価値無し、名乗るな、学校来るな、自尊心ぺちゃんこの日々があり。

 

ある程度大人になりまともになった兄と、「普通に話せる」ことが嬉しく。

私は自分をずーっと下の位置に考えてたから、天上人と話せてるみたいな洗脳があったのでしょうね。

 

数年前のある日、家族での食事で昔話に花が咲いたときに彼が言ったのです。

「おれ、お前に小便飲ませたりしてたよなぁー」。

 

私、びっくりすることに記憶から消えていたんです。ショック過ぎたんでしょうね。

そう、小学生低学年のある朝、両親が起きる前に兄に起こされ、自室で「ちんちん口に入れろ」

泣いて抵抗したけど「ぶっころす」と脅され、屈して、口の中にそのまま放尿されたのでした。

 

頭が真っ白になるようなショックを隠しつつ、「謝って」と言ったら「嫌だ」と大爆笑。

驚くことは、それを初めて知った両親は一緒に大笑いしたこと。

 

ここからは要約しますが、後日そのことをカウンセリングで話し、あまりに酷いと。

私両親に電話をし、何故叱らず笑ったのか、それがショックだったと涙ながらに訴え、兄にそれについては謝らせて欲しいと。

両親は必ずそうすると約束。

 

その後3年、家族で集まる機会あっても何にもなし。

2020年夏、沖縄から兄帰省時に、もう話してほしいと両親に懇願して話してもらう。(母、文句すごい)

 

兄:→謝らない、あいつが悪い

両親:→謝らないもんは仕方が無い、あいつにも事情がetc・・・結局お前達2人の問題、日にちずらして帰省すれば

 

後日電話で・・・

 

私夫:→許すのか、おとがめなしか、親として怒ってくれないのか

両親:→兄は可愛いがお前は正直可愛くないし中絶すれば良かった、兄が正しいからそちらの味方

 

で、もはや死んでも葬式に出ることも無い、連絡も不要という絶縁を致しました。

決定的過ぎてもはやスッパリ。

 

で、夫が俺が君のお母さんになる。

お父さんにもなる。

俺が両親になる、何にも問題ないから、と言ってくれた。

 

息子には正直に話した。電話での会話もかなり聞いてしまったから。

気にしないで、ママに酷いことした人と会いたくない、と。

 

そんな訳で、ずっとひどい目に遭わされていた毒親から解放されてから1年と少し。

たまに悪夢にうなされることはまだあるけど。

やっと自分の人生を、雑音無しで始められたと感じているこの頃です。

 

息子の事。

 

幼稚園に入ってすぐ、発達に遅れがあるかもとと指摘を受け、区の療育施設に相談してみるように勧められたんです。

電話して予約を取り、検査をしてみると半年ほどの遅れがあること。

特製的には、グレーだけど自閉スペクトラムの傾向もあるとのこと。

 

で、卒園まで月一、1時間で療育に通所していました。

大抵は幼稚園が終わった後の時間帯で予約が出来たので、早退はあまりしないで済みました。

 

行かせてよかったな、と心から思えた。

 

息子自体は、色んなことを個性として受け止めて貰えて。

良い所をしっかり褒めて伸ばしてくれて、課題も楽しみながら学んでいけた。

良い先生に担当していただけて、ここが素敵ですね、凄いですよとたくさん認めてくださった。

私へのケアも。

お母さん、頑張っていますね。と言って貰えただけで泣けちゃう。

 

立ち歩きや、お弁当に集中できず食べないとかは大早い時点でかなり改善された気がします。

でも、やっぱり集団行動がうまくいかず自分のしたいことを優先してしまうのは小4の今でも変わっていません。

 

小学校に入ってからは1年様子見して、2年生から特別支援教室を申し込みました。

息子の小学校には特別支援教室が併設されているので、教室移動だけで済むのが有難い。

 

基本的に普通学級で過ごし、週2時間(2コマ)分を同じ学校内の支援教室で学んでいます。

個別1時間、集団1時間。

担任、支援教室、親と連携を取り合い最近の様子や問題点などを週単位で情報交換出来るのですごく良いです。

 

 

色んな親御さんへの謝罪の電話は幼稚園から何度したかわかりません。

こういうことは多くなるだろうと覚悟していました。

丁寧に、心から謝罪をし、息子に対しては家族できちんと話をして今後もしっかり見ていくことを心がけていました。

頻度は多かったけど、同じ子とトラブルはありませんでした。

 

凸凹の凸部分は、何と言っても記憶力な息子。

かなり前の詳細な記憶も忘れないし、暗記系はかなり得意だと思われます。

算数が好きで暗算が得意過ぎて式を書かずに注意を受けることも。

本人希望で小2から公文に通わせていますが、今月から中学校小の課題をになりました。

 

うちの子、天才!?

と喜びたいが難しい理由が、とにかく文章を書くのが嫌いです。

作文、読書感想文、道徳系統が苦痛で仕方ないとのこと。

あとは、興味がわかない授業に全く集中できないのでその部分の抜けが大きい。

 

本当に分かりやすい凸凹持ちです。

 

でも、優しいんです。

特性上なのか、話し方やいろいろが幼く、大きい赤ちゃんみたいとよく思います。

ママだーい好き、だけどパパにはライバル心が強くよくケンカしています。

 

私が調子悪くて寝ていれば、起きたら可愛い折り紙が枕の周りにいっぱいあったり。

やる気のない時のご飯でも、「ママのごはんは何でも美味しいもの」と言ってくれたり。

素直だし可愛いし、面白い。

 

子育てをして親の苦労を知る、みたいな言葉あるけどね。

 

私は子育てをしながら、ますます両親の事が分からなくなっちゃったんですよね。

このブログを開いたのが6年ぶり。

そして、最後とんでもない所で終わっているという(笑)

 

私はこのブログの他に、主に更新している「表のブログ」がありそちらはコンスタントに更新し、12年。

どうにかうろ覚えのIDとPASSを思いだし、開いてみたらまだ見られてちょっと感動しました。

 

誰も見ていないブログだけど、その後の色々を書いてみようと思う。

 

まず、夫とは・・・離婚せず、2日前に無事に12回目の結婚記念日を迎えました(笑)

喧嘩が本当に多いカップル、夫婦だったし危ういことばっかりだったなぁ。

でも、その頻度はどんどん落ち着き、今では喧嘩はめったにしなくなった。

 

そして、絆は6年前とは比べ物にならないほど強くなった。

今では夫であり、親友であり、父であり、我が子のようであり、100%信頼できるパートナーです。

 

そして、息子は小学校4年生になりました。

どうにか、どうにか・・・事件になるようなことを起こさずに育立ててくることが出来まして^^;

今ではいっぱしに、反抗したり生意気言ったりとすっかりギャングエイジ。

 

 

6年前のあの後。

メンタルクリニックで、本気で変わりたいと、息子にも夫にも穏やかに接して生きていきたいと。

ずっと頓服で抗不安剤を飲んでいたのだけど、毎日飲むSSRIの抗うつ剤に変えた。

 

これが効き始めると、世界が一変しました。

自分が今まで怒りでどうにもならなくなる色んなことが、「まぁ、いいかな」と思える!!!

一度感情が昂ると数日収まらなかったのが、そもそも昂ぶりにくくなり、ちょっと時間がたつと冷静になれる。

 

これが。

これが、私のような境界人格障害が無い、「普通の人の世界」か。

 

それはもう衝撃で。

今までどれだけ周りに迷惑をかけて、特に夫には苦労をかけたし、そして自分自身が何と生きづらかったことか。

 

それは嬉しかったのだけど、息子に対しては、怒りも無いが興味がない状態が続きました。

安全に生きながらえさせることは出来るけど、興味がない。

 

でも、そこから抜け出せたのが12月の幼稚園初めての学芸会で。

 

息子のクラスの合唱の番になりました。

幕が開くと、色んな子が「ママー」「パパー」と客席に手を振っている。

息子は背が高いので一番後ろの端っこ。

そこで、私とは全く違う方向を見ているけど、きょろきょろを一生懸命私を探しているのが分かったんです。

口が「ママ、ママ」って動いていたから。

 

合唱の曲はハム太郎の「てをつなごう」でした。

 

てをつなごう いっしょにわらおう ともだちになろう

 

ママ友も居なくて、息子と2人の日々。

公園に行っては、同じ年くらいのお友達を探し、近寄っても逃げられてしまい寂しそうだった息子の後ろ姿。

誰とも知り合いじゃなく、誰とも友達じゃなかったあの頃。

それが、今は名前を呼び合えるお友達が沢山できて、私を必要として探してくれている。

 

そう思ったら、もう合唱中は涙が止まらず。

息子の姿がまぶしく、愛しいと心から感じることが出来たのでした。

 

で、その時お隣に座って軽くお話ししたママさんもすごい泣いてて。

そのママさんと仲良くなり、子供同士男の子で小学校も同じ。

息子同士親友になりまして、何と私とそのママさんも親友と呼べる、一生付き合っていきたいほどの仲良しになりました(笑)

 

人生って、分からないものだな。

 

つづきます

死にたい。
今日眠ったら二度と目覚めなければいいのに。

もう愛してない。
夫も子供も。
興味が無い、ただ失敗されたり嫌なことされたときの怒りだけ。
怒りの感情だけしかない。

今の状態じゃ働けないから養ってもらいたいけど、二度とあいつと寝たくない。
一回も抱かれたいと思ったことも無い。
付き合って最初の数回からはもうずっと苦痛だった。

全部全部間違ったと思う。
ってか生まれてきたこと自体間違ったんだと思う。

全然幸せじゃない。
会いたい人にはもう会えないし、相手にもされない。

死ねたらいいな。死ねますように。
色々あって、意識の無いうちに行政にまで頼っちゃって。
面倒なことを起こしてしまったなと思う。

夫とは別にもう揉めていないけど、些細な一言で信じられないほど頭にきて怒鳴り散らす。

酒を呑むと手におえない、自分で自分が。

で、記憶をすぐなくすし、最近あたまがぼーっとしてて夢の中みたいな。
忘れやすいっていうか、フワフワ表面上だけ生きてる感じ。


精神科、ヤバいなと思って心入れ替えようと思ってったんだけど。

禁酒言い渡されて、嫌になっちゃって今日も飲んでる。

レキソタン頓服だけだったけど、デパスとデパケンを朝夜飲むように処方されてしまった。
お酒は辞められないって言ったのになぁ。


望むものは手に入らないものがほとんどだし、びっくりするくらい何にも興味が無い。
夫にも、息子にも。最低なことに。

下らない、笑えるバラエティの録画でも見ながら酒飲んでるくらいしか暇が潰せない。

酒の無い生活に我慢したくないから2人目だって諦めたのに。
無理に決まってるっていうか、色々失って、質素に暮らしてて、その上安い酒まで取り上げられるならもう生きてる意味って何?って思う。

旦那にそう言ったら、「それは希死念慮っていうらいしよ」だって。
変な専門用語、でも知ったことでは無い。

病気がそういわせているんだって言うんだけど。

でもお酒は10年以上前からのほぼ唯一の楽しみなんだよ。
出来るなら煙草だってやりたいけど妊娠して辞めたんだよ。

趣味を見つけろ、だって。

趣味は、元々好きだから気付いたら趣味になるんだよ。
見つけに行くものでは無いって、何でわからないんだろう。

そんなめんどうなこと、検索したり、出向いたり出来る元気があればこんな病気になってない。

めんどくさいな。

死にたいわけじゃないんだけど、人生が無駄に長い。
疲れたなぁ。

生きるのに向いてないんだなって最近よく思う。