④からの続きです。
骨折をする数年前、
具体的には約3年程前から、
私は内的にも外的にも、
人生の大きな転換期の一つを迎えていたことを感じている。

長年、形を変えながらも勤めていた職を退き、
その翌年、大学を卒業した娘が他県へ。
その数か月後に、愛犬が他界。
愛犬が逝くまでの約1か月、ほぼ不眠で付き添っていたのをきっかけに、
その後、散発的に不眠に悩まされるように。
(骨折後の回復と共に消失)
その年末には屋移りの準備をして、
さらにその翌年には、再婚し、市をまたいで2拠点での暮らしが始まった。
変化につぐ変化。
すっかり様変わりしていく様相の中で、
自分というものが一体どういうものなのか、
いよいよ分からなくなった。
どういうものでもないのに、
その圧倒的なほどの
なにもなさに翻弄されるような…
なんていうのか、無力感のような…
自分が一生懸命やって来たというようなものは
本当に砂上の楼閣のように
ある時、音もなく砂に還るように消失していくものなのだなって。
そもそも、どの時も確固たる、これだけは不変なんてものはない…
それが悔しいとか、嫌だとかではないけれど、
何をどう生きてもこの先、
さらに老いを通して死を迎えるまで、
この変化(へんげ)という消失の幻想が緩やかに続いていくのかと思うと、
当時は、真綿で首を絞められ続けるような
なんともいえない感触を覚え、その感触と共に生きていた。
人生を一つの航海に例えるなら、
方向性を失い、舵の取り方が分からなくなっているというよりも、
ある種、自分では選びようのない方向性に向かっているものに対して、
舵を取る必要なんてあるのだろうかという状態….
では、舵を取らないとして、
その時まで何をしていくのだろうと…
途方もない退屈の中に、丸裸で放り出されたような気持ちだった。
矛盾するように、外的世界では目まぐるしい変化に満ち、
新しさが次々と暮らしの中に浸透してくるのに、
そうなればなるほど、内的世界は、圧で全く動かなくなるような不思議を感じ…
その説明のつかなさをどこにも置けないような、
そもそも置くというスペースも、私そのものすらもどこにもないような気がして、
心は宙ぶらりんのまま彷徨っているような感覚だった。
この感覚は、ずいぶん以前に感じていた不安とはまた違う、
ある種独特のものだったことを思う。
人それぞれ捉え方や感じ方は違うけれど、
私にとってはこれが、
ある種のミッドライフクライシスのようなものだったのかもしれない。

そんな折、ちょうど骨折する1か月程前の間、
ふとこれまでの人生の振り返りをしたくなり、
日々の瞑想を通してゆっくりと、歩んできた様々を感じた。
私はこれまでに、2度ほど、教育分析という
自分史を振り返る、人生の棚卸しのような過程を経験したことがある。
だけれど、この1か月程の瞑想の中で、
これまで気にも留めなかったこと、
または、その時に受けとめるにはあまりにも大きくて、そのままになっていたことなど、
とめどなく浮かんできた。
体験は様々な層を織り成して、数字や回数で図れるものではない。
この時も、
今湧いてくること、今感じられてくるもの、
それらを一つ一つ感じ切るというひとときを過ごした。
ようやくその振り返りに心の目処がついたことを体感した直後、
正確にはその翌日、旅先で骨折した。
どこか心晴れやかに軽く、
一新というより刷新を感じられ、
その感覚がとても心地いい最中に。
そして、目の前の美しい景色や空気感に、
全ての感覚や身体を開いていることに気づいている、その直後に。
そして、ものすごい勢いで、私ごと人生ごと運ばれ続け、
気が付くと、今に至っている。
当初は、まだ何かあるのだろうかとか、
私の感じ方が間違っているのだろうかとか、
ネガティブなことばかり湧いてきた。
しかし…
私はあの瞬間、ただ生かされたのだと思う。
生も死も、どちらも同じようなイコール性をもって在る。
そのどちらがどうとかではない。
と同時に、私はとても大切なことに気づかされた。
どんな時も、あらゆるもの…
はからいも、意識も、私も、身体も、何もかも完全に生きている。
どんな状態で何をどんな風に感じようと、
身体がどんな風に損傷を顕していようと、
どの時も、どの瞬間も、
全ては完全に息づき、生きている。
8割方生きているとか、半分ほど生きているとか、
そういうことではない。
どういう状態であれ、一つ一つの細胞に至るまで
全てが共振し、生の方に完全に振り切っている。
もし死があるとしたら、それはその完全な生を振り切ったどこかにあるもの、
生を超えたそのどこかにあるもので、
退行することでも、衰退することでも、真逆のようなものでもない。
死のその瞬間まで、誰しも何もかも、
ただ脈々と、完全に生き切るのだということに気づいた。
死の概念は、分からない。
でも、その分からなさが死そのものであっていい。
分からなさと共に、今ここに、完全に生かされている。
その完全さが普遍なまま在るだけ…
その普遍は生死すら超えて、燦然と在る。
それは私なりの感じ方かもしれないけれど、
少なくとも私にとってこの気づきが、
これからの人生の歩みの深い礎になるような気が、今はしている。

今、人生に、陽が再び、柔らかく差し込んできた気配を感じている。
そして、目に留まるあらゆるものに宿るさり気ない美しさに、
心が優しく揺れるような、ささやかな喜びに包まれている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました(^-^)