グループセッションの中では、

どんなことを話してもよく、
それぞれが今感じていることや、

日々の出来事を通して感じている心の揺れなどを、

自由に言葉にしていきます。


個人で向き合う時間には、
自分自身の物語を丁寧に見つめていける醍醐味が...。


それに対して、グループでの時間は、
自分一人では触れられなかった視点があり、
それによって、思いがけず何かが開く瞬間があったりします。

 

ある方のお話の中に、
別の誰かの心に響くメッセージが含まれていたり、
誰かの気づきが、また別の方の新たな扉を開いたり...


それぞれが自分自身の物語を大切にすると同時に、

それだけでは出会えなかった癒しや視点が、
他者の物語に触れることで、ふいにもたらされることがあるのです。

 

 

 

 

 

 

誰かの言葉が、自分への答えになる。
誰かの涙が、自分の癒しになる。
誰かの変化が、自分の希望になる。


そうやって、
響き合いながら進んでいく何かがあることを感じさせられます。

 

そういう時、

人は、自分一人の力だけで生きなくてもいい。
誰かの存在に支えられ、誰かの言葉に励まされ、
また自分も、知らぬ間に誰かの力になっている。
そんな循環の中で生きていけることを深く感じます。


他力もまた、自力。


そういう世界を、安心して生きていいのですね。

 

 

 

 

(グループセッションにご興味あります方はお気軽にお問い合わせくださいませ。)

 

 

 

セッションの中で、

ときに理屈では説明しきれない場面に立ち会うことがあります。


今世の出来事だけではどうしても辻褄が合わない苦しみ。
理由の分からない、繰り返される感情の痛み。


そうしたものに触れていく中で、

まるで過去生と呼ばれる物語のような世界が浮かび上がってくることがあります。


そこには、かつて深く傷つき、置き去りになった思いがあり、
長い時を超えて、今ようやく癒される瞬間を待っていたかのように感じられることがあるのです。


またそれは、過去生のみならず、幼少の頃の体験などからも同じような癒しがもたらされることが多くあったりします。

 

 

 

 

 

 

 

その物語に触れるとき、不意に涙があふれる...

感情があふれる……
理由は説明できなくても、魂が何かを思い出したような感覚なんですよね...


場の空気が静かに変わり、
時間の流れさえ少し違って感じられるような、
不思議な感覚に包まれることも。


それが本当に過去生なのか...


その真偽を確かめる術はないけれど、

それでも確かなことは、
その瞬間を境に、長く抱えていた重さがほどけ、
表情がやわらぎ、
ものの見え方が変わり、
人生が動き始めることがあるということ。

 

真実かどうか以上に、
その人の内側で確かに癒しが起こり、解放が起こる...


私はそのこと自体を、とても尊いものだと感じています。
目には見えなくても、
言葉で証明できなくても、
人の魂には、確かに癒されていく力があるのだと思うのです。

 

 

 

 

 

セッション中に、

何気なくあらわれてくる仕草というものがあったりします。

 

一見すると、通り過ぎてしまいそうな小さな反応の中に、

実は、その方にとって大切な鍵が隠れていることがあるのです。

 

そして、その鍵を開けて、メッセージの意味を知ると、

その奥から本当の何かが溢れ出てくる...

 

分かってほしかった本当の気持ち。

その源泉は、いつも愛につながっているように感じます。

 

ただ、その場所へ辿り着くまでには、

その前に「これだけは分かってほしい」という思いがあることも少なくありません。

悲しみ。悔しさ。寂しさ。怒り。置き去りにされたように感じてきた心の声。

 

それらを無かったことにせず、大切に抱え、受けとめ、表現していく先に見えてくるのが、

本当の気持ちという、純粋でまっすぐな思いなのだと感じます。

 

 

 

 

 

 

また時には、家族の中で長く言葉にならなかった感情を、

なり代わるように表現されていくことも...

 

声にすることのできる誰かお一人が声にし、感じ、表していくことで、

家族全体の流れがほどけていくことがあるのです。


家族によって苦しむこともある。

けれど同時に、家族ごと癒されるような大きな力もまた、そこにはあるのだと感じます。

 

そして不思議なことに、その役割を担っていたご本人の心もまた、

回り回って軽くなり、自由になっていく...

 

人の心は、とても深く、そして美しいものですね。