時々、セッションを通して、

「選ばれなかった方の世界」を想像する流れをシェアすることがあります。
あの時、もし別の道が選択されていたら、どうなっていただろう、と。


でも、その“選ばれなかった世界”は、

本当にどこかに並んで存在しているのでしょうか。


むしろ、世界はそんなふうに分岐しているのではなく、 

いつだって「選んだことそのものが、すべての現実」なのではないかと感じ合うのです。


選ばれなかった方の世界は、どこにも残されていない。

何かが置き去りにされているわけではなく、 

その瞬間に生まれた“ひとつの世界”が、ただそこに展開しているだけ...


そう思うと、人生は分岐というよりも、

常にひとつの流れの中にあるように見えてきます。

 

 

 

 

 


ただ、興味深いのは、

もしもう一方が選ばれていたとしたら、何を味わっていただろう...

と、その可能性に触れたときです。


ワークを通して、ゆっくりそこに降りていくと、

そこには確かに感覚があります。 

 

経験していないはずの何かに、確かに触れるような感覚...


その感覚を通して何かが大きく昇華されるとき、 

「選ばれなかった世界」は初めて意味を持ち、 

そして不思議なことに、

世界はより確かなひとつへと戻っていくようにも感じられます。


選択とは分離ではなく、統合のプロセスなのかもしれません。


 

 

 

 

 

 

共感力や、相手への配慮ができる方は、
自分のありのままの思いや感情に気づきながらも、
その気持ちを少し横に置いて、相手を優先することができます。


それは簡単なことではなく、
むしろとても稀有で尊い力...


けれど、その力を持つ人ほど、
自分の気持ちを一旦、置いておくことも出来てしまうんですよね。


かといって、無理に自分の思いを押し通すことが大切なのではなく、
自分は、本当はどう感じているのか。
何が悲しかったのか。
何を望んでいたのか。
そんな自分自身の内側にある思いや感情を、
自分に対して、丁寧に言葉にしてあげることなのだと思います。


自分のものでありながら、
なんとなく感じていたものを言語化してみることで、
ああ、そういうことだったのか。
と、初めて気づくことも結構多かったりするんですよね。

 

 

 


 

 

ただ、そういう言語化は自分ひとりでは、
うまく言葉にならないもの...

 

見えているようで見えていなかったり、
本当の気持ちの手前で止まってしまうことも。

(不用意に他人に渡さないため、そう出来る力でもあるけれど...)


そんな時、安心して言葉を置ける場の中で、

丁寧に言葉を探していくことで、
はじめて出逢える本音があったりします。

 

そして、言語化されていく過程と共に、

どんなに思考で納得できていると思っていても

なぜかずっと気になっていた境地から、

いつの間にか新たな境地へと自然に移行していることを

後になって感じられることがあるのです。

そしてそれこそが、本当に求めていることだったり、

体感したいことだったりしたことに気づくんですよね。


それは繊細で、
時に大きな力を伴うものだからこそ、
守られた場の中で扱われることに意味があります。

一人では整理しきれない思いほど、

安心できる場の中で自ら言葉にしていくことで、

内も外も大きく、けれど穏やかに、ごく自然に動き始めるんですよね。

 

心に言葉を与えるということは、
自分を大切にする選択のひとつであり、

同時に、自分も他者をも大切にするという

優しい守りのように感じてなりません。

 

 

 

 

 

今日、いらしてくださった方が、

「日輪が出ていますよ!」と玄関先で知らせてくださいました。

しばらく外で一緒に眺め、写真を撮りました。

 

 

 

 

 

 

住宅地で、電線などもあるけれど、とても綺麗で幻想的で...

 

しばらく空を見上げていました。

 

 

 

 

 

 

ここ数年、身体が思うように動かないという時期が長く続いて。

 

それまで、気になることがあれば、

少々無理してでも、した方が気持ちがいいと感じ、

大抵のことは、そうしてきました。

 

けれど、それがまるで出来なくなってしまい、

いつ出来るようになるかという目処も立たないまま、

年単位の時間が過ぎていき。

 

もう無理はできないんだな、

そして、

無理をしなくてもいいのかなと、

ようやく理解がついてくるようになりました。

 

身体は一足先に、「大きな変わり目が来たよ」と知らせてくれていたのかもしれませんね。

 

ひとりで抱え込まなくていいこと。
助けを受け取ってもいいこと。

 

そんな体験をさせて頂いている軌跡に感謝しています。

 

完璧な状態だけを見せる関係より、現実を共有できる関係のほうが深い...

そもそも、完璧な状態なんてないですしね。


「感謝と循環」の中に、身を置いていいのですね。

 

ありがとうございます。