原作は、韓寒の小説『长安乱(長安乱)』が原作。
2004年に出版されたこの小説は、韓寒の唯一の”武侠小説”だ。
へえ~、武侠小説なんて書いてるんだ・・・と興味津々、どんな内容なのか楽しみにして見た。

そして冒頭・・・、英語の題名『Easy Life』と・・・。
この文字がスクリーンに出て来た時、なんだか吹き出してしまった。普通、武侠小説といえば、武術の遣い手たちが自分が1番強いんだ!と争うのだが、Easy ってそれとは真逆じゃないの? コメディなのかな?と、ここですっかり油断してしまった・・・。笑。

しかし始まると、話しはどんどんスピーディに展開して、Easy には見られない。本編は90分と、通常の映画より短いのだけれど、そんなことはほとんど感じさせなかった。
そして、戦いのシーンでは、部分的にアニメが使用されている。すごく現代的であり、カンフーを見せるための映画ではないんだなと分かる。

あらすじ
武術にたくさんの流派があり、争っていた時代。
それらの流派を取りまとめるのは、盟主といわれる地位の者で、全ての流派は盟主に従わなくてはならない。そうして均衡を保っていた。
しかし、ある年、盟主を決める戦いで勝利した人物が亡くなり、江湖(武侠の世界)の世界は乱れた。

小木寺で育った释然(张天阳)は、ある日、師匠(万仓)から長安へ行き、「なんでも知っている人を捜せ」と言われた。その人は何でも知っているが、人々はその人のことを知らない人物だと、まるで謎掛けのような話し。
释然は、同じ寺で育った喜乐 (何泓姗 ←若い頃の安達祐実そっくり!、『匆匆那年』のテレビ版で主演を務め話題だった女優さん)とは、恋人同士。師匠に許しをもらい、2人は一緒に旅に出る。

映画では、時間の流れが過去と現在、前後するのだが、ここでは流れ通りに簡単に説明・・・。

長安に行った2人の探し人はなかなか見つからないが、有名な刀鍛冶の噂を聞き行ってみると、捜していた人物ではなかったが、これを使いこなせるのはおまえだと、一振りの刀をもらった。
そう、释然には、天性の武術の才能があったのだ。相手の動きや自分に放たれた武器が、みんなスローモーションのように見えて、ことごとく打ち破ることができるのだ。この刀を使えば、おまえはもっと強いと、それを託されたのだ。

そして話しの中で、刀鍛冶は、最近一度にたくさんの武器を買っていたものがあると言った。それは、小木寺のライバルの永朝山庄だった。急いで小木寺に帰った释然の見たものは、死屍累々、皆殺しにあった仲間の死体の山だった。

释然と喜乐は、盟主を決める大会が開かれていると聞いて会場へ向った。
そして、その会場で、小木寺の師匠と再会する。師匠は死んでいなかったのだ。
舞台の上では、次々と1対1の戦いが繰り広げられていた。
勝ち残っていたのは、小木寺を襲った永朝山庄の頭目・万永(金亮)だった。彼は、毒を塗った武器を隠して使っていたので勝ち進んでいた。みんなの目はごまかせても、動体視力のいい释然には丸わかりだった。正義感にかられて、释然は舞台へ上がり、万永を打ち破った。

释然は、盟主になった。
ところが、どうしてもその地位が欲しい万永は、喜乐を誘拐、盟主の座を譲るなら喜乐は開放してやると、释然と取引をする。盟主の座より喜乐が大切な释然は、その取引に応じた。

それから、喜乐と释然は2人きりで山の中の小さな家で暮らし始め、幸せな日々が続くかと思われたが、喜乐は出産で命を落としてしまう。悲しみに暮れた释然は、残された子を連れて世間に戻って来るが、万永企みのために江湖は、混乱してひどいことになってしまっていた。そこで、释然は再び万永に戦いを挑む。「おれに盟主の座を返せ」。

再び万永に勝利する释然。
・・・そして7年後、子供のためにも世話をしてくれる女性が必要じゃないかと、人から勧められた女性は、喜乐そっくりで・・・。・・・おわり・・・。


小説では少林寺
映画の中では「小木寺」だが、小説では「少林寺」とはっきり書いてある。少林寺とライバル流派(武当山)の攻防というのが、物語の下敷きになっている。

ところで、見終わった後に「Easy Life」について考えてみた。
主人公の释然の生き方が「Easy」なのかな。释然という人物は、気楽というのか、こだわりがなく生きてるようなのだ。(だからといって、決して幸せではないのだけど、それは時代のせいだと思う)

释然は、天才的に強くて誰にも負けないのだけれど、そこにこだわっている様子はまったくない。戦いを挑まれたら受けて立つのだけれど、盟主になろうとは思ってもない。だから、その地位を簡単に譲り渡してしまう。それに、小木寺が襲われた時にも、ひどく悲しむのだが、おれが仇を取ってやる、というわけでもない。

これは、释然が天才の証なんだろうかと思ったりもする。
もし、辛い稽古をして上達した武術だったら、その苦労に報われたいと思うだろう。自分の腕前はこのくらいなんだから、このくらいの地位や収入はあって当然だと思うだろう。あいつには負けないとか。
でも、释然には生まれつきの特殊能力(動体視力?)があって、努力しなくても勝ってしまい、地位を一度放ったらかしても、また戦えば取り戻すことができる。それは"Easy"、こだわりもなくなるのかな。

何の才能もないわたしは、その能力をいかして、もっと大きなことを為し遂げてやろう、などと気概を持って欲しいような・・・。その方が、値打ちのある人生じゃない? と、思ってしまう。その才能が、もったいなくないですか?
でも、一方で、向上心=ガツガツ感がないところが、今風の生き方なのかなと思ったりもする。がんばっているところを見せるのはかっこ悪い、という考えに添えば、释然の生き方は理想的だろう。

90分の短い映画だが、なにげに含みが多くて、見終わった後が面白い。
他にも、人生の希望、願望ってなに? とか、いろんな切り口で見ることのできる映画。
大ヒットはしないけど、好きな人はすっごく好き、だと思う。
ちなみに、ちょっと太宰治っぽいかも。
観客からの評価点は、5.4点と低い。でも、そんなに悪くないと思う。


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