邦題「黒衣の刺客」




監督は、台湾映画界の重鎮、侯孝贤(ホウ・シャオシェン)。
第68回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したというので、話題の作品。
中国では、3日前から始まった。

ミニマムの美
画面、台詞、アクションが全てミニマムの美。

まず、画面が美しい。
最初はモノクロから始じまり、押さえられた色調。

撮影は、中国、台湾の他に、日本の京都、奈良、滋賀、兵庫で行われている。建物は、日本の寺など使っていると思う。中国にはない、地味な色彩だから。笑。


台詞は、短い。
そして、古文・・・。笑。

しかとは分からないが、時代劇口調も通り越して、古文。
原作が、唐代の短編小説『传奇(伝奇)』の中の『聂隐娘』で、これが千文字ほどの短いものだというので、その通りの台詞かもしれない。
あなたを「你」ではなく「汝」、言うを「曰」(yue1)と言ったり。「曰」って、『論語』の各文の冒頭、「孔子曰・・・」(孔子先生が言うには・・・)で使われてるあれ。日本語では、「曰く」(いわく)と読む。

古文?だから、短くてキレがいい。独特のリズム感がある。でも、外国人の私には分かりにくかった。どんどん流れていくので、時々推測。笑。(あの古文調、日本語ではどんな口調に翻訳されているのか興味あり)。

とにかく、台詞は語りすぎない。


動作も簡潔。
刺客なので戦うシーンが多いが、流血はほとんどなく、立ち回りの動作は小さく、少ない。強そう。

この映画では、いろいろなことがミニマムに押さえられている。
賞狙いで作られたとしか思えない。


あらすじ
唐の時代、まさに安禄山の乱が起こり、国力は傾いていた。中央の力は弱くなり、地方の力が勢いづいていた。その中でも、魏博藩(地方の名称)の勢力が1番強かった。

魏博藩の大将・聂锋(倪大红)の娘・聂隐娘(舒淇)は、10歳の時に女道士にさらわれた。道士から武術の訓練を受けた聂隐娘は、凄腕の刺客に育てられた。そして、13年後に帰って来たのだ。

彼女に与えられた使命は、魏博藩を治める官吏の田季安(张震)の暗殺であった。
聂隐娘と田季安は、幼なじみのいとこ同士だ。聂隐娘を刺客に育てた女道士は、剣の前では血のつながりなど関係ない、彼を殺すことで世の乱れを正し、民百姓を救うのだという。
一方、田季安の妻・田元氏(周韵)は、田季安を殺しても、世は益々乱れるだけだろうという。大きな視点で見れば、殺すことなどないのだという。

聂隐娘は迷いながら、田季安の側で様子をうかがっていた。。
その頃、聂隐娘の父・聂锋は、将軍の田兴(雷镇语)を、前線へと送り届ける任務を、田季安から仰せつかった。出発する聂锋たち。しかし、聂锋が出発した後、敵が彼らを追いかけていった。聂锋たちは、山中で敵に襲われてしまう。

それを助けたのが、磨镜少年(妻夫木聪)だった。彼は、日本からの遣唐使。でも、脱走?して1人で行動している。薬草の専門家。
敵は強いが、聂隐娘もやってきて、無事に聂锋と将軍の田兴を助け出す。

襲ってきたのは、田季安の政敵、元谊(高捷)の手下たちであった。元谊は、田季安の勢力を弱めようとしているのだ。さらに、元谊は、田季安の妾・胡姬(谢欣颖)が妊娠したことを知り、彼女も殺そうとした。(人の形の紙型を使って呪い殺す。こわい。)聂隐娘は、これも助ける。

最後に、聂隐娘は田季安暗殺を放棄する。そして、自分を刺客に育てた女道士を始末し、磨镜少年と一緒にどこか薬草探しの旅?に出かけていくのだった。

人物相関図、これがないと分かりにくい。
実は、登場人物が多い。



日本だけのディレクターズカット
ストーリーは、短くて複雑でもないのだけれど、ミニマムに撮られているので、ちょっと分かりにくかった。(台詞の”古文”が分かりにくかったせいもあるだろう。)

分かりにくいと言えば、妻夫木聡の演じる役は、解説を読んだことがあったので「遣唐使の倭人」と知っていたのだけれど、予備知識がなかったら、そういうことが分からないと思う。
日本人ということも、まったく説明がない。たぶん、まずいんでしょうね。それで、カットになっているおそれあり。

日本公開版は、そのカットになった部分、はぐれ遣唐使の日本での出来事や背景が足されて、さらに物語に深みが加えられているそうだ。

いいなあ。わたしも、そちらが見たい。・・・。


人物ショット
他、見ていて気づいたのは、人物ショットが遠目からばかりということだ。

人物を映す時、普通は、いろんなショットがある。全身、腰から上、胸から上、顔のアップなど。
この映画は、90%以上が、全身と腰から上ばかり。つまり、アップがない。

だから、遠目から覗き見をしている気分になってくる。笑。
実際、前半部分の多くは、刺客である聂隐娘が、布の影から田季安を監視している視点で撮られている。ずっとその視線が続くと、なんとも言えない不思議なかんじがする。

でも、なんの効果を狙っているのか、よくわからない。笑 
すみません。芸術魂がないんです。・・・。


一回だけあった顔のアップシーンは、聂隐娘が、父親の聂锋を助けるために戦い、背中に傷をおう。その傷を、妻夫木が薬草で治療するシーン。
韓流ドラマは、アップの多用によって、見ている側がその人物の気持ちに入り込みやすいと言われているけれど、アップがない効果って何だろう。


意図的にやっているに違いない。同じような距離からずっと撮っているなら、素人でもできる。というか、素人が撮るとそうなってしまうような気がする。でも、絶対に素人ではないのだから、実は、すっごく難しいことをやってみせてるんだろうか。

カンヌで賞を獲るって、そういうことなのかな。
気になったのは、途中で、2組のカップルと、1人の男性が席を立って出て行ってしまったこと。
出て行くまではないけれど、わたしは、評価が難しい作品だなと思った。カンヌで賞を獲ったことで、どこがいいのかなどと、そんなことを見ながら思う映画って何?とも思う。「おもしろかった」「感動した」と、ただそれだけでいいのではないか。
うーん、悪くはないけど、好きではない。そういうことかな。

観客評価点、7.5点。



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