「自分は人からの嫌われても構わない」


何かを話してたとき、ある人がそう言ってました。


ただし、


自分が大好きな人から嫌われるのはツライかな…、、


とも言ってました。




そうなんだ、と思った。




人から何を思われても全然平気よ、

と言える人って、


人から嫌われるのが怖い人から見たら羨ましい台詞だし、


人目を気にせずに自分が好きなことをやろーぜ〜!

それが自分らしく生きることにもつながるぜ〜!

自己肯定感高めて生きよーせ〜!


って時に使われがちだけど、




もともと、

人からの評価に一切興味がない人のその台詞は(これも個人差はあるけど)、


割と凶器的思考かなと思います。



他人に関心がなく、

自分は自分が好きなようにしたいし、

そのことで人からどう思われようが嫌われようが関係ない


とバッサリ言える人って、


自分がそれをすることで他の人がどんな思いをするか?

にも関心がないということでもある。



「他人がどんな思いをするのか?」


嫌な思いをしてないかな?

悲しい思いをしてないかな?

ツラい気持ちになってないかな?


ここに思いを馳せることをしないということは結局、


我さえ良ければそれでいい思考の持ち主真顔


である可能性もある。




なんか知らんけど機嫌悪いとか、

なんか知らんけど怒ってるとか、

なんか知らんけどうんざりしてる感を出してくるとか、


自分は人に関心がないと言っておきながら、周りが受けるその影響に配慮できないのは、


なんかそれ、

自分勝手だよね?


と思う。




どーしたのえー

ご機嫌を取って聞くと、


いやさぁ、あれがどーでこーで、、


と、人の不備に対する不満を出してくる。




人からどう思われようが興味ないけど、

人のすることには興味津々なんだなと思う。



こういう人はどこにでもいると思うし、

誰でもその日のコンディションで機嫌が悪そうに見えたりすることもあるから、

お互いさまなところもあるんだけど、



こういう

周りに気を遣わせる人って、

自分は優秀だと思ってるので、

とても厄介〜な人種ですよね😅


例えばそれが職場だとして、

成果はあげていたとしても、


職場内の雰囲気を悪くしてる時点で、

全体パフォーマンスの生産性においてはマイナスなわけで、


邪魔してるやん?と思います。



そもそも、

人のに関心がない

ので、


自分の言動のせいで誰かの心が傷ついてるとか気を遣われてるとか、

実は親しそうに見えるけど腫れ物に触る扱いをされてるだけ、とか、


そこんとこに本人は気づけない。



自分は慕われてる、、と勘違いしてる可能性もあると思います。



人からどう思われようが関心がないのなら、自分も他人の一挙手一投足に無関心でいればいいやん?

無関心なら文句も出んやん?



と思う。




しかし…


このような人種は、

人の目を気にしすぎて自分を抑えてしまう人にとっては、


いい修行相手

になるわけです。



ツラい態度を取られてもイチイチ凹まずに自分を保つ訓練となったり、

他人の言動と自分の感情に境界線を引く練習になったりする。



だから、

「居なくてもいい人はいない」ということなんですが、


まぁしかし、

厄介な人に変わりはないので、


自分のコンディションによってはうんざりしますね。



でもそれも、

自分のコンディションの良い状態をどう保つか?の訓練となる。



生命は進化を遂げてきたけど、


例えば外敵から身を守るための進化だったし、生存環境に順応するための進化だったり、または退化させたりといろいろ変化

をしてきてる。


変わらない相手

変わらない環境


が相手だからこそ?進化を遂げられる。




しかしまぁ、誰にでも感情があるので、、



時々は


うんざり

しますわよねニコニコ



人の心はわからぬものです。


しかしそれがわかるのは、


別れ際…といいますよね。。。


人間だから好き嫌いがあるのは仕方ないです。

でも社会生活には調和が必要です。


自分は優秀だ、と思ってる人に限って、

言ってることとやってることが違ってたりしますね。


…なぜ?



優秀に見せるため…

に取り繕わなければならないことが出てくるからですよね。


周りはそこんとこ、見抜いてますけどね〜

知らぬは本人ばかり…



それってちょっと恥ずかしいことですね〜



心と言葉と行いを揃えた生き方をしたいものですね🍀