通勤路にある大きな木🌳
小さな薄紫の花が満開です❇
ハーブのような香り、
とてもいい香り…
もう8年も朝夕、毎日そこを通っているのに、
この時期に花が咲くということを初めて知りました🍀
今日、帰りにその木の下を通るとき、
「あなたはなんていう名前の木なの?」
「とてもいい香りだね」
と幹に手を触れて話しかけてみた。
もちろん、返事は聞こえなかったけど、
そばに生えてる植え込みの中から鳥の声が聞こえてきました。
小鳥さんたちは雨の日や寝るときや、
外敵から身を守って休みたいときはこうして植え込みの中に避難するんだろうね。
植物と動物の共存🍀
先日、人との縁が切れました。
切って正解の縁でした。
その後、
いろいろあって「孤独」を感じた自分でした。
誰かにわかってほしい、
誰かとわかりあいたい…
そんなことを求め続けてきたけど、
本当の意味で分かり合える人っているのかな?
何かあったとき、
本音で話したい私だけど、
深い話になればなるほど、どうしても相手との価値観の違いが出てくる。
価値観の違いだけでなく、
相手が負ってる心の傷や、
または自分の心にある回復しきれていない傷やトラウマ。
本音で伝えることが正しいとは思わないけど、
上辺だけの言葉は使いたくない。
上辺だけの言葉で取り繕うだけをされれば、
信用、信頼という部分に影響もしてくる。
そんな深く考えなくてもええやん?
…でもいいのかもしれないけどね。
私は自分のことを一匹狼だと思ってたけど、
分かり合える人がほしい…
そんなこと思う時点で、
全然そんなことないじゃん?
あー、私にはまだ覚悟が足りなかったんだなと思った。
今、仲良くさせてもらってる人に、
どこか依存してるかもしれない。
あなたは独りでも生きていける、とよく言われるけど、
あなたは独りで生きるよ、と言われるって、、
どーゆーこと😅?
独りで生きる、、とはいつも独りぼっちなのではなく、
大勢の人の中で生きながらも、
自分という人間をちゃんと自立させて生きていく、
ということなんだろうなと思います。
私は親から認められて受け入れてもらうという経験が本当に乏しかったので、
人間関係でズレが生じて、それが自分に原因があるとすれば、
それは、
「承認欲求」です。
承認欲求が強すぎると人との距離感や境界線が曖昧になります。
この3年間、
自己愛の強い人に振り回されっぱなしでした。
承認欲求が強いと、
「私が!私が!私が!」になるのでね。
周りはいい迷惑だし、
それは周りに「被害者」を出すことにもなります。
なんにしても、
欲が強すぎて…ガツガツしてる人は私は苦手です😥
一緒にいると疲れる。
これも一種のエナジーヴァンパイアです。
愛は自分で満たすしかありません。
満タンにするのは自分なんですよね。
自分が愛に満たされたとき、
周りにはたくさんの愛が溢れていたということに気づける。
自分が自分を「被害者」にしているうちは、
絶対にそれはわからないと思う。
今日、
お花がいい香り…と幸せに思えたのは、
そう思った自分が起点になってるけど、
お花は咲いたときからずーっといい香りを放ち続けていた。
と、いうことですね🍀
自己愛の強すぎる人は、
人からもらう愛で満たされることはないので、
そういう人とは離れるのが正解かなと思います。
永遠に奪われ続けます…
こういう相手には、
自分の愛は出し惜しみもしていいんだと思います🍀
食っても食っても腹が満たされない餓鬼と同じですから。
あと何年働けるかわからないけど、
来年もお花が咲くのを楽しみにしていたいと思います🍀