人それぞれに、



視野の狭広、


視座の高低、


視点の付けどころ、


が違う。



優劣の問題ではなく、

理解度にも浅い深い、狭い広いがある。


そしてもともとの価値観&認識の違いがある。




その時には

「あ〜わかる!わかる!」と共感できたとする。


いったんは意気投合ウインク恋の矢音譜した感覚を味わえたとしても、


視点のポイント、理解度などに相違があれば、

お互いに向いている方向も進む道も、

進み方も進む速度も違うので、


そこには大きな認識の違いがあったことに、


のちに気づくことになる無気力ガーン




進んでた方向が違っていたことを後から知るから、。


「あーわかるわ!おねがい」と共感しあえていた分、



お互い、、否、たいていは片方だけが、

大きな大きな落胆ガーンを感じてしまう末路となる。




人に振り回されやすい人は、

「承認欲求」が強いのかもしれません。




あ…、



人を振り回す人も「承認欲求」が原動力になってる、のかもしれない。




だから、

人を振り回す人も振り回される人も、


結局は「自分自身」が承認欲求というものに振り回されているということになる。



人を振り回す人はかなりエネルギッシュひらめき電球なので、

そんな人に振り回されること自体は避けられないのかもしれないけど、




振り回されてた結果、

疲れ果ててしまう絶望



ことが問題なんだと思う。



あ~!巻き込みが始まってるわ〜!


と、そこで一旦、離れられたらいいけど、


なぜかそこでわさわざ、


巻き込まれに行ってしまう🌀という悪い悪い癖がある。




共依存指差し…てやつか。。



「危険人物⚠️」とわかっているのに自ら近づいていってしまうのは、


ACの悪いクセでもある。




子供の頃から家庭内で感情労働をさせられてきてるから、



つい、場の空気をよくしたくなるし、


つい、その大役を買ってしまうし、


つい、全力投球してしまうし、


自らを犠牲にしてることにもなかなか気づけないし、


それにより自分自身が傷ついたり疲れたりしていることになかなか気づけないし、


自分の心の動きに対して鈍感だったりするので、

傷ついたり疲れたりしている自覚もなかったりする。



でも、

本当は傷ついてるし心も疲れてる。


心が疲れてるから肉体にも影響してきて、



「なんか変だなぁ、わたし…ちょっと不満


と、やっと自覚が起こり、



そこで一旦止まれて、コトの全容が見えてきて、




あー、、私は巻き込まれて振り回されてたんだわ…ショボーン


となる。






巻き込み確認ビックリマーク



って、どーやるの?



スピードを落としてサイドミラーだけではなく、

ちゃんと首を動かして振り向いて、


後方確認するよね。



巻き込まれる人って、

後方確認まではできてるのに、


対向確認が不足してるのかもしれません。



巻き込み確認OK!でGo!


しかし横断歩道の向こうから自転車が突っ込んできました!



ガッシャーン!叫び





しかしさぁ、、



人を振り回すヒトのあの勢い…


あれ、なんなん?


すごいじゃん…ネガティブ




「破壊人」

…いわゆるクラッシャー人間。



サークルクラッシャーといわれるやつ。



あれ〜あれ〜驚きという間に、


または水面下でひっそりと、しかし確実に


どどどどどー!


となぎ倒し、破壊していく。



ホンマにすごいよね、と思う。




しかし、そんな人にも多分、時には役割があるんだと思います。



どん詰まりになってにっちもさっちもいかなくなったとき、



そのクラッシャーがいい働きをしてくれる。




私は今回、

そのクラッシャーを止めてしまったのかもしれない。


いや、止まらなかった。



止めようとしたけど、

そもそもクラッシャーは止まらないので、


止めようとする作用を逃すために、

別の方向に向いて進んでしまった。




流れる水を堰き止めることはできない。


1か所堰き止めれば流れを変えるだけだし、


全部を止めたとしても、

水はどんどん流れてくるので溢れ出して、


溢れ出した水は回りのものを飲み込みながら流れ続けていく。


回りはなぎ倒され、破壊され、グチャグチャになる。




クラッシャー人間を止めることはできないのですよね。



ならどうするか?




距離を置く。

関わらない。


離れる。



それしかないのかもしれません。




私はその水の流れを止めよう、止めようとしてきた。



一旦は止まったように見えたけど、

実はそこに貯まっていってるだけだった。


溜ったものは出ないとどうしようもないので、



ドッカーン!バッシャーン!



本人さんは長いこと続いた便秘に、


便秘薬を飲んでトイレに駆け込んでスッキリ✨


くらいなもんです。



そして、トイレの残り香を嗅がされる真顔




そもそも周りが止められるものではない。



中には止められる人もいる。

周りからの助言に耳を傾けて、

悪い癖を直していける人もいる。



でも、

我を折れない人は無理。


しばらく大人しくできてたのは、

ガマンしてただけ。



ガマンでは人は変わらない、変われない。



ガマンではなく、

そこに意味を持って辛抱に変えていかないといけない。



8割方、ガマンを辛抱にできてたのに、

周りからの囁きに負けてガマンに戻っちゃった。


クラッシャー人間…、変な使命感を持ってる。


突然、正義の味方になる。




ここにも承認欲求。



承認欲求にもいろいろ含まれる。





その人の場合は、

「思いどおりにしたい」



それが強すぎると悪知恵が働くようになる。



あれでダメならコレでどーだ、と、

悪知恵を働かせるようになる。



隠してもバレてるし、バレる。



いつかの日、

「私がされたこと」を私は忘れてはいないのだけど、


その「されたこと」の重要さ

それをしたという相手の罪深さというものを、


私自身がもっと理解しておかねばならないのだと思います。



つい、許してしまう。


許してもいいけど、

また同じことをさせないという、

一見は非道に見えることができる強さは、


持たねばならないのだと思う。



エネルギーを取られるのはもうやめにしよう。