昨夜例の数学の企画のために複素解析を復習していたのであるが、おそらくζ関数論に到達するまでに一通り紹介するのが良いように思われたので、数論の話の前に複素解析と複素関数論について書くことになるだろう。つまりRiemann予想まではまあまあ遠いということが分かったのである。とは言え複素解析は数学の諸分野の中でも、美しさに関しては(比べるものではないかもしれないが)それなりに上の方に位置するのだろうと思っているので、楽しんでいこうと思う。
さて、本日は全く異なる話題についてである。メメント・モリという言葉をご存知だろうか?まあこんな言葉知っている方はかなりの教養人か、厨二カテゴリーに分類されるサブカルの類いに身を捧げてしまっている人であろうから(ちなみに私は間違いなく後者)簡単に説明しておく。ずばり、ラテン語で「死を記憶せよ」という意味をもつ言葉である。パクス・ロマーナの時代には、そこから転じて「1日1日を楽しんで生きよう」という意味であったらしいが、キリスト教の生死観の中で言葉通り、「死者を忘れるな」という意味に変わっていき、墓碑に刻んだり、絵画の隅っこの方に登場していたりするなど、一種合言葉の意味合いが強くなったらしい。ちなみに私がこの言葉を知ったのはとあるゲームの中で、主役級のキャラクターの遺品に使われていたためで、やはりキリスト教の流入後の意味の方で使われているように思われる。
だが、この言葉が現代、先のような意味で<本当に>使われているのだろうか。いや、そんなことはないはずである。例えば超有名人の訃報がSNS等で知らされたとき、そこにかかれるコメントは決まって「ご冥福をお祈りします。」や、英語なら「Rest in piece.」といった感じで、メメント・モリなんて言葉は出てこない。これが意味するところはラテン語の現在のあり方であろう。ラテン語はもう話されていないにも関わらず、その言葉自体に精通している人は一定数おり、学名などに今でも使われている。しかも、コーラスなどにおいては今でも言葉として発せられているなど、話されていない言葉の中では最も<生きている>言葉であろう。そしてこの特異性が利用され、日本においてはサブカルの中で最もお手軽な"仮想言語"となっているのである。ちなみに厨二ワードの語源を調べると英語ではみんな知っているからなのか、ドイツ語やラテン語が多い。まあ日本人にとってはエキゾチックな雰囲気が醸し出されるので、厨二病を患っている私にとっては嬉しい話なのであるが、語源を知っている言葉に出会うと冷めてしまうこともある。知識というものは良くも悪くも人に真実を見せてくれるものなのであろう。
こんな感じでエッセイっぽいのを書いてみたが、自分の考えを文章化する良い練習になると思うので、定期的にやっていこう。今回の話題は昨日西洋絵画について調べているとメメント・モリという言葉を目にし、昔考えたことが思い出されたため、書くことにした。一応言っておくが、私は考えを書いただけで基本的にそこに良し悪しをつけるつもりはない。今回も現代日本におけるラテン語のあり方についての意見を述べたが、このあり方を良いことである、または悪いことであるとして判断する必要はないと考えている。それにこのような話は各人の感性に依るところが大きいであろうから、最も論争が起きやすいデリケートな領域にあると思うのでこれ以上の言及は避けるべきであろう。それでは今日はこの辺で。
さて、本日は全く異なる話題についてである。メメント・モリという言葉をご存知だろうか?まあこんな言葉知っている方はかなりの教養人か、厨二カテゴリーに分類されるサブカルの類いに身を捧げてしまっている人であろうから(ちなみに私は間違いなく後者)簡単に説明しておく。ずばり、ラテン語で「死を記憶せよ」という意味をもつ言葉である。パクス・ロマーナの時代には、そこから転じて「1日1日を楽しんで生きよう」という意味であったらしいが、キリスト教の生死観の中で言葉通り、「死者を忘れるな」という意味に変わっていき、墓碑に刻んだり、絵画の隅っこの方に登場していたりするなど、一種合言葉の意味合いが強くなったらしい。ちなみに私がこの言葉を知ったのはとあるゲームの中で、主役級のキャラクターの遺品に使われていたためで、やはりキリスト教の流入後の意味の方で使われているように思われる。
だが、この言葉が現代、先のような意味で<本当に>使われているのだろうか。いや、そんなことはないはずである。例えば超有名人の訃報がSNS等で知らされたとき、そこにかかれるコメントは決まって「ご冥福をお祈りします。」や、英語なら「Rest in piece.」といった感じで、メメント・モリなんて言葉は出てこない。これが意味するところはラテン語の現在のあり方であろう。ラテン語はもう話されていないにも関わらず、その言葉自体に精通している人は一定数おり、学名などに今でも使われている。しかも、コーラスなどにおいては今でも言葉として発せられているなど、話されていない言葉の中では最も<生きている>言葉であろう。そしてこの特異性が利用され、日本においてはサブカルの中で最もお手軽な"仮想言語"となっているのである。ちなみに厨二ワードの語源を調べると英語ではみんな知っているからなのか、ドイツ語やラテン語が多い。まあ日本人にとってはエキゾチックな雰囲気が醸し出されるので、厨二病を患っている私にとっては嬉しい話なのであるが、語源を知っている言葉に出会うと冷めてしまうこともある。知識というものは良くも悪くも人に真実を見せてくれるものなのであろう。
こんな感じでエッセイっぽいのを書いてみたが、自分の考えを文章化する良い練習になると思うので、定期的にやっていこう。今回の話題は昨日西洋絵画について調べているとメメント・モリという言葉を目にし、昔考えたことが思い出されたため、書くことにした。一応言っておくが、私は考えを書いただけで基本的にそこに良し悪しをつけるつもりはない。今回も現代日本におけるラテン語のあり方についての意見を述べたが、このあり方を良いことである、または悪いことであるとして判断する必要はないと考えている。それにこのような話は各人の感性に依るところが大きいであろうから、最も論争が起きやすいデリケートな領域にあると思うのでこれ以上の言及は避けるべきであろう。それでは今日はこの辺で。