こんにちは。かとうです。

お久しぶりです。7月末に父の法事でお寺に行き、いろいろ考えたことを

記事にしてはいたのですが・・

ほんっとに、夏にふさわしくないくらい、重暗い記事になってしまったので

削除しました笑  生きるってなんでしょね~?

考える暇ないくらい充実しているのが一番健康的な気がします。


今日はたくさんの方にシェアしたい記事があったのでこちらを添付します。

鹿児島県で主に子供たちに向けて(いのちの授業)をされている三好綾さんのFB

のコメントです。


以下 三好さんの記事 ⇓

「がん教育に思うこと」

先日「がん教育」の

とある模擬授業を受けました。

授業の内容はアクティブラーニングを

取り入れて、みんなで考える仕組みがあって

素晴らしいなあ、楽しいなあと思って

受けました。子どもたちもきっと45分が

あっという間の授業だと思います。

そして、ワークシートの最後に、

子どもたちが未来の自分へ手紙を

書くワークがありました。

きっとあの授業を受けた子どもたちは

「検診受けてますか?」

「たばこを吸っていませんか?」

「お酒はそこそこにしてますか?」

などを書くことが想像されます。

それはそれでとても大切なこと。

でも、それだけでよいのかな。

と強く思いました。

あの授業のあとに、 

患者さんの理解につながる授業が

あったのかもと思いたい。

がん教育の大きな動きや、各都道府県の様々な活動を見ながら、まだまだ「予防教育」のみのものが多いなと思うのです。

そこだけでは、傷ついたり不安になる子どもたちがいるよと何度も声を上げてきたつもりなのですが、届かない。届いてない。

私は未来の自分宛ての

ワークシートにこう書きました。

「もし、がんになっていても

 もし、がんが治らなくても

 自分らしく過ごせていますか?」

ここの部分が、抜けてるんです。

あちこちのがん教育に。

がんは100パーセント予防出来ますか?

リスクを下げることは出来るかもしれない。

でもなる人はなる。

その後、どう生きていくの?

治らないとき、どう生ききるの?

ここもどうか教えてください。

がんになったら「負け」

がんが治らなかったら「負け」

なんて、子どもたちに教えないで。

子どもたちの3割から4割が、

身近に患者さんがいます。

それだけたくさんの子たちが、

がんのことを知らないまま、

過ごしています。

あの子達のためにも、

身近にいない子達のためにも、

どんな「がん教育」が必要なのか

今一度、立ち止まって考えて欲しい。

そんなことを朝から

考えてました。

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がんの告知を受けた時、誰もが1度は思ったんじゃないでしょうか?

「わたし、何か悪いことしただろうか?何かの罰ですか?」って。

私も思いました。過去をさかのぼり、自分にダメ出しして落ち込みました。

不摂生だった自分が悪い、がんになった自分は運が悪い・・

罰が当たったんだ・・  ちがいますよね?


時に治療は「闘う」という表現をつかいます。「がんと闘う」それが

気持ちを鼓舞することもあるけれど、じゃぁ、がんが原因で亡くなってしまったら

それは闘いに負けたことになるのか?  ちがう。

まだまだこんな表現であらわされることの多い(がん)だから、

がん患者への理解も進んでいないし、がんを隠した方が過ごしやすい・・そんな世の中に

なっている気がします。


がんの捉え方はそれぞれですが、忘れてはいけないのは

「がんであっても、がんでなくても、自分の命を大切に、他人の命も大切に

自分らしく生きるということ」

そこから、じゃぁ自分らしくってどういうことだろう?って考えることが

できると思うのです。

私にとってはこのきっかけが「がんという病気」であり、治療は通過点になりました。


きちんと伝えられる大人に、わたしもなりたいと改めて感じた記事でした~。






















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