CMを歌うお仕事。 | ぽれっとLibrary

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日々徒然心のままに、音楽と、バンドと、本のことなどなどなど。。。

年賀状の印刷に果てしなく時間がかかっているので、
歌のお仕事の話でも。

◆  ◆  ◆

福岡にきて、バンドを始めて照和伝説 に入り浸っていると、
だんだん音楽仲間が増えていった。
その中には、音楽制作会社で働いている人もいたりして、
何となくCMソングを歌う仕事をするようになった。
あくまでも福岡ローカルのお話。

CMソングの制作とは、どんな感じで行われるのか。
簡単にいうと、ディレクターの制作意図(絵コンテ)に基づいて、
まず2~3パターンをラフな録音で提出し、その中から発注者(スポンサー)がどれか1つを選んで、それを正式にレコーディングする。
そしてその音源をCM制作会社に渡し、映像とミックスして完成させる。

だから基本的には、1つの仕事につき、2回歌いに行くことになる。
但し、コンペなど複数社での競合の場合や、初めに作るラフ・パターンを、歌い手を替えて数種類作る場合もあるので、オンエアされずにボツになるものも少なくない。
recording mic あと、CMソングを歌うという場合、
」と「サウンド・ロゴ」の2つがある。
サウンド・ロゴというのは、社名やブランド名等に節(メロディー)をつけたもの。
今テレビでよく聴くのは、お菓子メーカーの
森永」とか「グリコ」とかかな。
ちょっと古いけど、キャッチコピーを付けた
セブンイレブンいい気分」「チョコレートは明治」なんかは、すごく有名だよね。

サウンド・ロゴだけのときは、社名4文字、4分音符4つだけ歌って終わりなんてことも。 時給に換算すると、かなりオイシイ。

とはいえ、歌うたいにとってこの仕事は、決していいものじゃなかった。
こんな声でとか、誰々風にとか、何しろまずは要求ありき。
自分の好きに歌えるわけではないのだ。

声にも強いキャラクター性を求められることが多かったし。。。

当時リクエストが多かったのは、「chara風」のウィスパー・ヴォイス。
もちろんそれが得意だという理由で、多く使ってもらえたのだけど、
決して私の自然な歌い方ではないので、喉にかなりの負担がかかる。
↓その声でフルコーラスを歌ったこの曲のレコーディングは、地獄だった。
最後の仕事、スペースワールドのCMソング「Smile」 (1998)試聴あり

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私の歌が初めてテレビでオンエアされたのは、94年の夏。
博多駅にある博多デイトスの夏のバーゲンのイメージソングで、
テレビCMに加えて、バーゲン期間中ずっと、店内で流されていた。
テレビでCMを録画するのに躍起になったり、
博多駅まで聴きにいったりしたな。

実際に私の歌でオンエアされたCM(ラジオ含む)の主なものは、
博多デイトス、嬉野温泉ホテル桜、親和銀行、やまぐち県酪、
大分県民生協、太宰府天満宮、神戸サンド屋、スペースワールド、
佐賀共栄銀行、リーガロイヤルホテル小倉、着物の蝶屋
などなど。

94年から98年までの5年間だったのだけど、長くオンエアに使って下さるスポンサーもあるので、今もたまに自分の声が流れてくることがある。

福岡県外でオンエアされたものは、私も見るチャンスがなかったのだけど、「聴いたことあるかも」 って方もいらっしゃるかなぁ?

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この仕事をやめた理由。

◆まずは、ギャラ未払い問題。
「支払いが遅れてごめんなさい。必ず来月払うから。」
何度この言葉を聞いただろう。

3年待っても支払われなかったので、少額訴訟を起こした。
裁判の日にはちゃんと出頭してきて、支払うと約束したので、
裁判官の勧めで和解し、支払期日を指定した和解調書が作られた。

しかし、結局履行されなかった。
それから1ヶ月待ったけど、電話の1本もなし。
それで、「支払わないと大変なことになりますよ。」的な手紙を出したら、
慌てたように即日振り込んできた。
※ちなみに「大変なこと」とは、強制執行のこと。

人の信頼を都合よく利用する人とは、仕事は出来ない。

◆そしてもう一つは、自分の歌を歌いたくなったということだ。
お仕事として、要求されるとおりに歌うことも、勉強にはなった。
お小遣い稼ぎにもなった。(ほとんどを海外旅行資金につぎ込んだ。)
でも、常に「やっぱり違う」と感じてた。
上の件で、踏ん切りがついたってところかな。

◆  ◆  ◆

やっと年賀状の印刷が終わった。
いいタイミングで、めでたしめでたし・・・?