四字熟語以外の『論語』由来の成語
(その11) 「恕」: 己の欲せざる所は、人に施す勿れ
『論語』衛霊公にある次のことばが出典です。
子貢問曰、
「有一言而可以終身行之者乎」。
子曰、
「其恕乎。己所不欲、勿施於人」。
子貢問ひて曰く、
「一言(いちげん)にして以て終身之を行ふ可き者有りや」。
子曰く、
「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」。
[要旨]
人間として一生行うべき道を一言でいえば、それは「恕」である。
[口語訳]
子貢がたずねて言った、
「ただひとことで、一生行ってゆくに値することばがありましょうか」と。
子曰く、
「それはまず恕(じょ)(すなわち思いやりの心)だろうな。
(恕というのは)自分が(人から)されたくないことは、
人にもしてはならない(ということだよ)」と。
(『論語』・旺文社』)
思い起こせば
中学校の卒業文集の一言
何を書こうかと思いを巡らせた時
私にはその言葉しか思い浮かばなかった
”己の欲せざる所、人に施す勿れ”
迷わず私はそれを記した・・・
あれから50年が経った今
その言葉に再び出逢い
はっとする
思えばこの孔子の言葉は
ずっと私の価値観の礎だった気がする
でも・・・
50を過ぎて
その価値観とは正反対の人に
人生をズタズタにされた時
私はこの価値観すらも
見失ってしまった
正しいことをしている人がバカをみる
してほしくないみにくいことをして
それでも法廷の場ですら嘘をついて
平然としている人もいる
でも・・・
これからの人生
私はやっぱりあのころの
純粋な私のままでいたいと思っている
ただあの愛人1号だけには
どうしても
この思いは通用しないのだ