土曜日に書家の金澤翔子ちゃんの
書道展に行った時
お母様のキャプション(文章)を読み
ひどく感動した
 
 
その中で
”恕”という見慣れぬ文字があった
ダウン症の翔子ちゃんは
人を憎むとか恨むとか
そういう俗世から
遠く離れた世界にいるのだと
 
 
 
恕す(ゆるす)を検索してみると

 

 四字熟語以外の『論語』由来の成語



(その11) 「: 己の欲せざる所は、人に施す勿れ

『論語』衛霊公にある次のことばが出典です。

子貢問曰、
「有一言而可以終身行之者乎」。
子曰、
「其恕乎。己所不欲、勿施於人」。


子貢問ひて曰く、
「一言(いちげん)にして以て終身之を行ふ可き者有りや」。
子曰く、
「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」。

[要旨]
人間として一生行うべき道を一言でいえば、それは「恕」である。


[口語訳]
子貢がたずねて言った、
「ただひとことで、一生行ってゆくに値することばがありましょうか」と。
子曰く、
それはまず恕(じょ)(すなわち思いやりの心)だろうな
(恕というのは)自分が(人から)されたくないことは、
人にもしてはならない(ということだよ)」と。
(『論語』・旺文社』)

 

思い起こせば

中学校の卒業文集の一言

何を書こうかと思いを巡らせた時

私にはその言葉しか思い浮かばなかった

”己の欲せざる所、人に施す勿れ”

迷わず私はそれを記した・・・

 

 

あれから50年が経った今

その言葉に再び出逢い

はっとする

 

 

 

思えばこの孔子の言葉は

ずっと私の価値観の礎だった気がする

 

 

 

でも・・・

50を過ぎて

その価値観とは正反対の人に

人生をズタズタにされた時

私はこの価値観すらも

見失ってしまった

 

 

正しいことをしている人がバカをみる

してほしくないみにくいことをして

それでも法廷の場ですら嘘をついて

平然としている人もいる

 

でも・・・

これからの人生

私はやっぱりあのころの

純粋な私のままでいたいと思っている

 

 

 

ただあの愛人1号だけには

どうしても

この思いは通用しないのだ