1996年6月20日

 

息子はヨーロッパのある国で生まれました

 

私たち夫婦にとってはじめての赤ちゃん

 

それも海外での出産でした

 

 

 

 

その国で出産経験のある日本人の友達によると

 

何の不安もないようだったので

 

私も何も心配していませんでした

 

 

 

 

出産の前日の夜

 

突然破水しました

 

 

 

 

 

予定日の1週間前でした

 

私は破水したから

 

このまま出産だと伝えたのですが

 

 

 

 

夫は理解できなく

 

一旦病院に行ってみようと

 

のんきなことを言っていたのを

 

思い出します

 

 

 

 

 

 

 

病院に着いて朝まで

 

8時間陣痛に苦しむ私の背中を

 

夫はひたすらさすってくれました

 

 

 

 

いろいろなことを

 

忘れてしまった私ですが

 

その事はとてもよく覚えています

 

 

 

 

朝になり主治医が来て

 

なぜか無痛分娩の注射を打たれました

 

 

 

 

 

8時間一緒に陣痛を乗り切った夫は

 

一緒に分娩室に入ったのに

 

途中で分娩室から出されました

 

 

 

 

 

主治医が想像していたより

 

赤ちゃんのサイズが大きくて

 

無痛分娩で感覚のない私は

 

うまくいきむこともできず

 

赤ちゃんも大きくて産道を

 

出てこれなかったようです

 

 

 

 

日本ではどうか分かりませんが

 

まず看護師さんに

 

お腹を思いっきりを押されました

 

 

 

 

 

それでも出てこなく

 

 

 

 

 

吸引とかいろいろなことをされました

 

いまでもその時の不快な音は耳に残っています

 

 

つぎに主治医の先生が

 

思いっきり私のお腹を押しました

 

 

 

それから

 

プロレスラーのような

 

大きな男の人が来て

 

私のお腹を思いっきり

 

押したのを覚えているのが最後です

 

 

次に目を覚ましたのは病室でした

 

私は気を失ったようでした

 

 

 

 

ただうっすらとした

 

意識の中で覚えているのは

 

会陰の損傷が激しくて

 

縫合が婦人科医では難しく外科医を呼んで

 

とても時間がかかった事です

 

 

 

 

赤ちゃんは4080gの男の子でした

 

お腹に青あざができるほど

 

強く押されてこの世に生まれてきました

 

 

 

 

その後病室で目を覚ました私は

 

立ち上がることが出来ませんでした

 

極度の貧血でした

 

 

 

 

輸血が必要だと言われましたが

 

当時狂牛病が流行っていました

 

 

 

 

 

夫は輸血を断り

 

私は産後1ヵ月

 

毎日飲み薬の鉄剤を飲み

 

毎日鉄剤の注射を打ちに通いました

 

 

 

 

1週間後に日本から

 

母が到着しましたが

 

 

 

 

私たち夫婦にとって

 

2人きりの大変な出産となりました

 

 

 

 

 

産後も出血でフラフラの私に代わって

 

夫は産後用のナプキンを

 

Pharmacyまで1ヵ月買いに行きました

 

 

 

このブログに登場する夫は

 

 

 

 

あまりにも愚かで

 

浅はかで

 

残酷で

 

軽薄で

 

救いようのない馬鹿ですが

 

 

 

 

私の人生のアルバムには

 

こんな1ページもあります

 

それが私を苦しめます

 

 

 

 

息子の誕生日の朝

 

久しぶりに涙が止まりません