あわわわわわーー、こんばんは。

 

おひさしぶりです。ちひろです。

っていってもほとんど初見さん

ばかりですかね。笑

 

葦舟ナツさんの

『ひきこもりの弟だった』を、

再読しました。

 

ひとの価値観や生き方を考えさせてくれる作品は少し時間をあけて、再度読み直したくなりませんか?はい、そういうことで、改めて読んで感じたことを残しておこうと思います。

 

 

*ネタバレの可能性ありです。*

 

 

物語は過去と現在が交互に進み、現在にある啓太や千草という人間が、どのように育ったのか、過去を通して少しずつみえてきます。しかし、「過去」と「現在」の場面があるなかで、2人の「将来」についての話はほとんどされません。ひとを愛することができない2人が一緒になり、だれでもいい、お互いを大切にしあえるそのお互いの「だれか」になった夫婦。啓太の行きつけだった喫茶店に夫婦ふたりで行った後あたりから、将来についてふたりが真剣に向き合います。

 

啓太はどうしてあんなにもあっさりと、別れることを決めれたのでしょうか。疑問を持つと同時に、心情の語りを読み直すと、なんかわかるような気もしてしまいます。

 

「子ども」に対する考え方、人生への向き合い方には、もちろん人それぞれではありますが、それ以上に「男」と「女」に決定的にわかりあえない部分があるのかな、と感じてしまいました。いろいろと差別について議論される時代ですが、生物学的に、なにか違う部分があると、感じたのは自分だけでしょうか。

 

みなさんはどう感じましたか。

コメントいただけると嬉しいです。

 

では今日はこのへんで!

最後まで読んでくれてありがとう!