今日は結局体が辛すぎて医者に行く元気もなかったので、




とりあえずバファリン飲んで寝ていました。





あれですね、ずっと寝てるっていうのも身体が痛くなって辛いですね。





それでもまだ寝返り打てるからいいけど、自分で寝返りも打てず寝てるだけだったとしたら、





地獄ですね。





そんな時たまたまこんな記事を見まして。





https://news.mynavi.jp/article/20240602-thenonfx1/







身体が辛いと、もう殺してくれって思うよなぁって、共感しました。





私は自分が死んだとて何も失うものはないけれど、愛する家族がいる人だったら、きっともっと生きたいと思うのではないか。





それでも自ら死を選ぶというのは、よっぽど辛いのだろうというのは想像に難くない。





私の場合はただの風邪、悪くてもインフルかコロナ、治る見込みがあるからまだ生きようと思える。




きっとこの熱でデトックスされて、治ったらパワーアップするに違いないという希望がある。





だけど、もうこれ以上悪くなるだけでよくなる見込みがないと思えば、その先に死を思うことは自然なことではないか。





人は、希望があるうちは、生きていられる。





その希望が見つかるかどうか。





とはいえ、フィジカル的な治る見込みと、メンタル的な将来の希望と、でいうと、治った後の自分のメンタルの方が心配ではある。





どこに希望を見出すのか。





もともとネイタルの太陽はノーアスのため、生きる目的かなんなのかがわからずここまで来た。





きっとこの先も見つからないのではないか、という漠然とした諦めのようなものがある。





大体サタンリターンの頃に、ある種こう言った諦めのようなものは、誰でも経験するところだろう。





そこで結婚したり転職したりして、身を固めるとか、夢追い人が定職についたりする。






それはそれで幸せなのだろう。





開運のために方位取りを行ったり、色々してはみるけれど、果たして本当に今よりも良くなるのか、半信半疑なところはある。





それでもまだ死ぬ勇気はないので、あともう少しだけ生きてみようかな、などと、騙し騙し生きている。





こんな風に考えてしまうくらい、健康を損なうことはメンタルにも悪影響を及ぼす。





健全な魂は健全な肉体に宿る、とは言い得て妙。





健康を最優先に考えることが幸せにつながるのかな、なんて思います。