人との縁というのは目に見えるわけではないけれど
それは確実に形としてあるわけで
精神的なモノを信じない人にとってもどこか片隅には
ご縁というモノを感じる時もあるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。



干合支合と言うのがありますが、
この現象について検証していましたが
干合でぶつかり合いながらも現実面では安定して過ごせる2人、となる感じなのかなぁと。
干合する場所によっても、どんな意味合いが含まれるのか変わってくると言う事。



そして、ご縁というのは自分を示す1番の知り方だと思うのです。神様はきちんと用意しています。



守護神となる人に出会うには、人のために尽くしてきた人生を送っていると出会えるように。
人のためとは自己の犠牲とは違います。





そして、離れるものにしがみつくという事は、自分も相手も苦しめるという事だと思います。
全て誰しもが自分で本当はわかっているのだと思います。そこから新たな道筋が見えてきます。



だけど、そこに余計な感情が入ることが多いのかと。
欲が入ります。我が入ります。




生まれてから人間は欲望という膜を何層にも身につけて自分を作っていきます。
この分厚い層になった欲望を剥がす事は簡単ではないかもしれませんが。層のせいで苦しかったりすることもあるのかなと。





その層が無かったとして
本当に感じる事は何だろう。




幸せとはなんなのか。




みんな自分で分かっていると思います。