自分軸を持つと言う事は
決してわがままになると言う事ではなくて
自分と一致するという事だという事



自分軸を意識するにつれて
自分という軸がしっかりと確立されていくのと同時に
自分の中の「我」と言うものと何が違うのか
分からなくなった瞬間があった。



「我」と言うのは、字の如く「われ」で
私を押し出していく事。



自分を表現する事が苦手だった私は
「われ」を出している人がなんだか羨ましかったり
「自己主張」を常にしている人をできる人だと思ったり「われ」を主張する事を意識してきた。




でも、その「われ」という「我」を出す事に
私自身の一部が違和感を感じていて
しっくりと腹に落とす事ができてこなかった



その答えを、自分のしっくりくる感覚を日々探求しながら過ごしていくうちに、ふとこれか?と思うような感覚が芽生えてきた。




それは、「我」と「自分と自分を一致させる」
という事は違うんだという事。




「我」と言うのは、私は私は私は!!!
と全てを前面に押し出して、Aさんから言われたことに対し「私はこうだから」と「われ」を出さずにはいられないもの。
陽徳と言われるものも、みてみてみて!私ってこんなに凄いことしてるのよ!こんなに人にしてあげたのよ!こんなにいいことしてるのよ!という、「我」を現すものが陽徳と言われます。
字の如く、陽だから、見える意識という事。




それに対して「自分と一致する」と言うのは、
自分軸と違う事象に対して自分の「我」を押し出す事はしないと言う事。
「そういう意見もあるよね」「そう感じるんだね」
それで十分だという事。




陰徳と言う事。
静かにただ淡々と。
見えないところで積み重ねる徳。
落ちているゴミをさっと拾うようなことが陰徳。




別に自分を分かってもらうためだけに
「我」を出す必要はない。
もちろん、攻撃をされた時や表現をする必要があった時は、もちろん自分を表現すればいいと思う。




気づいた時からできるんだ。









虹と光の輪が。