12月5日(金)、HONDA F1チームが2008年一杯でのF1活動撤退を発表。
でも、もう今年のF1にはHONDAはいなかったも同じ。11チーム中(事実上10チーム中)9位の総合成績でどのレースも存在感なしでした。スーパーアグリチームが解散となり、すでに20台までに減っている出場台数ですが、レースが始まれば注目されるのは上位の数台、もしくは激しく争う順位争いです。今年のようなレースをしていては、もういなかったのも同然でした。
撤退の原因は世界的金融危機のあおりを受けて、とのことですが、成績低迷によりブランド効果が得られていない状況や、2009年から導入されるKERS(キネティック・エナジー・リカバリー・システム=運動エネルギー回生システム)の開発費をさらに捻出する経済的体力がないこと、アースカラーにしたことでスポンサーがおらず一番最初に大メーカーでF1撤退をしなければなかなくなったのではと思います。
2000年からの第3期F1活動は、迷走をつづけたまま2004年の活躍と2006年の1勝以外成果をあげることなく突然終わってしまいました。1999年には独自チームとしてテストカーまで作り準備を進めていたところ(ヨス・フェルスタッペンがテストした幻の白いHONDA)、プロジェクト指揮官のハーベイ・ポスルスウェイトが急死、けっきょく既存のBARチームと組んで船出を向かえることに。車体技術での共闘も目指したHONDAですが、BAR側との相互理解に時間がかかり、成績は低迷。ジャック・ビルヌーブが数度表彰台に上がるが最初の4年間は目立った成績は残せませんでした。転機は2003年日本GP。鈴鹿直前で急遽ジャック・ビルヌーブがチームを離脱、テストドライバーを務めていたHONDAの秘蔵っ子、佐藤琢磨が出場し、入賞。次の年2004年は飛躍の一年となりました。エースドライバーのジェンソン・バトンが表彰台の常連となり、佐藤琢磨も予選2位を獲得したり、モナコGPのスタートであのシューマッハーをものすごい勢いで抜いたり、ついに鈴木亜久里以来となる日本人3位表彰台にもあがるなど数々の活躍を見せ、コンストラクターズ選手権でフェラーリに次ぐ2位となりました。
しかし2005年はレギュレーション違反やマシントラブルなど勢いを持続することができず。バトンの二重契約問題も起こり、佐藤琢磨がチームを離れることに。2006年は中盤から力を見せてバトンがハンガリーGPで初優勝。この年から100%HONDAチームとして参戦しており、HONDAとして約40年ぶりの優勝でした。2007年、衝撃のアースカラーをまとっての参戦でしたが、攻めたエアロダイナミクスが足かせとなり、大不振に陥り、終盤の日本GPまでセカンドチームともいえるスーパーアグリよりもランキングポイントで下回っていたほど。
2008年は春にスーパーアグリが撤退。HONDAは裏では出来る限りの手助けをしていましたが、自チームが去年に引き続いて成績が伸びない中それどころではなく、今年の車の開発をあきらめ、来シーズンの開発にシフト。元フェラーリのテクニカルディレクター、ロス・ブラウン獲得の成果を2009年にたくしました。そんな中突然のF1撤退。
世界的な金融危機の中、2台の車を走らせるのに年間400億~600億円かかるF1が真っ先にコスト削減の対象になるのは仕方ありません。依然は「走る実験室」と言われていたF1も、特殊性が増して市販車に応用できる技術も少なくなってきてしまいました。2009年からはKERS(運動エネルギー回生システム)が導入されるF1ですが、市販車のハイブリッド技術とは違う特殊な開発が必要となり、各チーム苦戦中で、この冬~春にかけてテストを重ねる必要に迫られています。苦しい経済状況の中でさらにKERS開発を行う体力も気力もなくなってしまったのでしょうか。2009年の車は、ロス・ブラウン獲得の成果を期待できる車として注目されていただけに残念です。そしてドライバーも故アイルトン・セナの甥ブルーノ・セナがF1デビューするかもしれないチームとして挙がっていました。1992年以来、「セナがHONDAに乗る」ことが実現するかもしれないと考えるとドキドキしましたが、実現は未来に延期されました。
KERS開発の他、HONDAが2007年から採用した「アースカラー」。2007年は車体全部に地球が描かれていて、スポンサー広告が踊る現在のF1マシンカラーリングに革命をもたらし、HONDAとブリヂストン、"My earth dream”のロゴ以外なにもつかないというインパクトある車でした。しかし、2008年もアースカラーポリシーは継続されるもなぜか中途半端なアースカラーに。アースカラーにして、他チームのようにスポンサーのロゴがなくなり、スポンサー契約はHONDAのアースカラープロジェクトの肖像権を付与する形になりましたが、どれほどスポンサーがいたかわからないものの、やはりスポンサーロゴが出ないのではスポンサーはつかないでしょう。2009年にはアースカラーは継続する予定だがスポンサーロゴ復活のうわさはありました。アースカラーにしたせいでスポンサーがおらずHONDAが自分達で資金を費やすことになり、金融危機の影響を一番最初に受けてしまったのかもしれません。
チームに買い手がつけば名前がかわって参戦継続されるとのことですが、どうなるでしょうか。うわさではいくつかオファーが来ているとの報道ですが、それもホントの話か疑わしいでしょう。最悪チーム解散となれば長年HONDAに在籍していたジェンソン・バトンは路頭に迷います。もう1人のルーベンス・バリチェロは引退が濃厚。バトンは平均点は高いが、100点が取れないドライバーで、最近は長年HONDAに貢献しているというより、慣れたHONDAチームのぬるま湯の中につかっている印象があり闘志が感じられません。
2000年から2008年までの9年間で優勝1回、チーム選手権最上位は2004年の2位でドライバーもチームもチャンピオンを獲得できずに終了となりました。チームディレクターも保坂さんから中本さんまで結構変わり、チーム監督もBAR時代のジョック・クレアから今のニック・フライまで雇われ監督が数名。人事も安定していなく、チームポリシーもBARとタッグを組んだり、ジョーダングランプリへの2チームエンジン供給時代もあり、100%HONDAとなったりなんだかよくわからないままでした。第2期の栄光には程遠い活躍、かっこよさで、第3期は突然終了。
HONDAがF1をやめてトヨタが出ているなんて一昔前は考えられない状況です。
HONDAレーシングスピリットを取り戻してもう一度いつか戻ってきてくれ。