時明さんのオフラインサロンAstrarl Journy

 

 
【Astral Journy】をもう【AJ】と略したくなる不精者。
 
 
第1回目のサロンで、
自分を知る手がかりとして、
「自分の『好き・嫌い』を見つめ直す」という宿題が出た。
 
 
わたしは何が好きなんだろう、と考え始めたら、
だんだん悲しくなってしまった。
 
 
 
好きなものが何も思いつかないわけじゃないの。
 
 
思いついたものを、「ほんとに好き?」と突き詰めると、
 
 
「そこまでではなかった…」と気づいてしまうのが悲しいの。
 
 
そして、
そこまで好きではないものを、「好きなもの」として挙げた自分が悲しい。
 
 
偽物の「好き」まみれだった自分に気づいてしまって。
 
 
 
特に、過去に好きだったものを振り返ると、
自分が、そこまで好きではないものや、
好きでいると都合のよいものを「好き」とねじまげていたことに気づいてしまって、
 
 
とてもとても悲しくなる。
 
 
悲しいを通り越して、虚しくなる。
 
 
偽物の「好き」に時間を、命を、浪費して、
それで充実して生きていると思いこんでいた自分が、
悲しくて、とても虚しい。
 
 
 
人生に無駄なことなど何一つないという。
気づきがあって、成長につながるから。
 
 
ならば、30数年間の人生の浪費は、
今後の人生を有意にするための布石だったということ?。
 
 
30数年も?
そんなにいる?
 
 
 
今こうして自分の「好き」の透明度が増していくほど、
過去の自分が滑稽で、かわいそうで、虚しくなる。
 
 
 
「それでも頑張ってたよね」
「浪費なんかじゃないよ」
「一生懸命生きてて、偉かったよ」
 
と声をかけてあげようか。
 
 
でもそんな言葉も虚しい。
 
 
 
今はただ、
美しいアフタヌーンティーを眺めて心を癒やすのみ。
 
 

 
数年前のペニンシュラのマンゴーづくし。
これも、行けたときはすごく嬉しかったけど、
好きだと思い込んでただけかもしれない。