昨日は、
時明さんのレイキマスターの補講に参加してきました。
 
 
そこで刺さった言葉がコチラです。
(時明さんにね、目を見て言われちゃったんですよ。)
 
 
 
私たちは、過去を証明するために生きているのではない。
 
私たちは、過去を肯定するために生きている。
 
 
 
 
証明
昔、こんなイヤな思いをしたし、あんな辛い経験をしたせいで、
ホーラ、今の私、こんなに辛いじゃん。
 
肯定
昔、こんなイヤな思いをしたし、あんな辛い経験をしたケド
今の私の幸せにこういう風につながってるんだなあ。
 
 

 

 

 

 

ここ数週間の私は、ずっと「証明」に生きていたのでね。

 

自分では「肯定」作業をしているつもりだったのだけど、

 

「癒やされること」を全力で拒否していたのは、

「証明」に忙しかったからだと、レイキの練習会・マスター補講で気づかせてもらいました。

 

 

レイキにありがとう。

レイキの仲間にありがとう。

 

 

てへぺろー。