百花がグッときた歌を紹介する
「勝手に『万葉集』」シリーズ
今回ははじめて
恋以外の歌です。
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(以下、『万葉集』の本文・口語訳は全て『新編 日本古典文学全集』(小学館)から引用しています)
大君(おおきみ)は
神にしませば
天雲(あまくも)の
雷(いかづち)の上に
廬(いほ)りせるかも
【口語訳】
わが大君は
神でいらっしゃるので
天雲の
雷の上に
仮宮を造っていらっしゃる
我が敬愛する柿本人麻呂様の歌です。
当時、
天皇は神の子孫である、
という思想を強化しようとしていたようで、
人麻呂は「天皇は神だ」ということを示す歌を
いくつも残しています。
ここでは、
天皇が神の子孫かどうかという論点は脇においておきまして。
この歌を詠むことで、
現実に新しい世界観を構築しようとしていることに着目したいと思います。
歌って、
たかが歌じゃないの?
と思ってしまいますが、
強い祈りと
真っ直ぐに信じる気持ちは、
歌として詠み上げたときに、
言葉に載るのでしょう。
有無を言わさない力となって
聞いた者の魂に響くのだと思います。
別の見方をすれば、
たった31文字の中に
パラレルワールドがある、
あるいは
ファンタジーが生まれる、
ということが、
ものすごい衝撃でした。
『万葉集』には「長歌」と呼ばれる、
五・七・五・七…を短歌よりも多く繰り返した
もっと長い歌も収録されおり、
長い分、より世界が広く大きく表現されています。
それはそれで、
ぐうの音も出ないほど圧倒されるのですが、
短歌の短さだけでも世界観を表現することは可能であるというのが、
歌のもつ力なのだと思います。
前回までに紹介した恋の歌ように
身近に感じられ、
昔の人と心の交流ができるのも
歌のよいところですが、
言葉に力をもたせる表現方法として
驚異的な威力を発揮するところも
歌の魅力だと感じています。
なんだか今日はいつにもまして
とりとめもなくなってしまいました。
反省。