昨日、50代の友人に会ってきました。


…と書いてみたものの、
「友人」なんて言っていいのかしら、
とドキドキしちゃう素敵な女性でチュー

でも、彼女は私のことを
「年下のかわいいお友達」
と言ってくれてるからいいかなっラブ

大事なところにはアンダーラインをひいた





お顔やボディのトレーニングに関する活動をしている彼女は、
彼女自身の本体(?)がとても美しい。



しかし、その美しさは、
50代に見えない美しさ、
というと、ちょっと違う。

私なりに表現すると、

50代になるとこんなに美しくなれる
ということを見せてくれる美しさ。


見た目も所作もとても若々しいのだけど、
「若作り」じゃないんだよなぁ。

彼女にとって
「お若いですね!」や
「30代に見えます!」は、おそらく
褒め言葉にはならないのだと思う。


なぜなら、美しさの背後から、

ちゃんと50余年の人生を生きてきた大人の女性であることが伝わってくるから



「若ーい!」って、褒めてるつもりで、人が生きてきた年月を簡単にさっ引かないで~、なんて思う私は捻くれ者ですか?そうですか照れ




外見のことばかり書いてしまったけど、
そういえば、彼女の口から、

「もうオバサンだからさ~」
「私みたいなオバサンになると~」

なんていう、
自己“オバサン”認定
の発言を聞いたことがない。


代わりに聞くのは、

「歳をとると~」

で、しかも、

「歳をとると、○○になるところがいい」

という肯定が続きます。


これか!
これが秘訣か!



「女性が歳をとる」
  =「オバサンになる」ではないんですね。


まぁ森高千里を見てればわかるよね。
いつまでたっても、あの歌が効力を発揮する機会は来なさそうだもんねチュー



と、ここまで書いてきて、
私が定義する「オバサン」とは?を明らかにしていないのでアレですが、
ともあれ、
私はオバサンになりたくないと思っていること、
そして上述の彼女のように歳を重ねていきたいと思っていること、
そんなことを表明しつつ、

本日のコメダモーニングの写真をあげておきたいと思います(え