二元性からの脱却
先日、ダライ・ラマ法王の講話を聞きに行ったときの番外編を少し。
今更?
私、のんびり過ぎですね
法王さまのお話の合間に、
各国の僧侶たちの般若心経が披露されました。
これが、とっっても素晴らしくて。
チベット、台湾、韓国・・・
それぞれ心に響いてきましたが、
最後に披露された日本の般若心経に、心底感動してしまったのです。
私の中の日本人のDNAを深く感じたし、
日本を誇りに思いました。
一緒に行った友人も同じ意見で、二人で感動しっぱなしで
型にハマるのってよくないよね、もっと、自由に生きたほうがいい。
なんて、最近思っていたのですけれど、
(というか、直前まで友人と、子育て論から、そんな話をしていたばかりだったの)
ところが、見事に型にハマった美しさと、荘厳さと、乱れのないお坊さんたちの姿を見たら、
これは、世界に誇れるニッポンの美だ! と、つくづく感じてしまいました。
あぁ、どちらがよくて、どちらが悪い、ということはないんだな、ということにも
気づかされました。
何かにつけて、すぐに白か黒で答えを出そうとしてしまうけれど、
その、どちらも存在している・・・
どちらでもないところにいることも、ひとつの答えかもしれない・・・
好き嫌い、善か悪か、男か女か、右か左か、表か裏か・・・
なんでも決めつけたがって、
相手を責めてしまったり、決められない自分を責めてしまったり。
自由でいることは素敵だけれど、
それだけが正しい!と思ってとらわれてしまったら、それは執着だし、
そこに自由はないのですよね。
キチンとしていることも素敵。
でも、なんでもかんでもキチンとし過ぎて、そこにとらわれてしまっては、
かえってストレス。
中間の、合間の、曖昧な、そういう部分も必要。
もともと、日本人って、そういう曖昧さは得意なんじゃないかと思うのです。
だって、神社があって、お寺があって、教会があって・・・ と、
宗教が共存してるじゃないですか。
上手に受け容れてる。
世界の他の地域での宗教間の争いを見ていると、
日本って、寛容な国なんだな、と思いますよね・・・。
もちろん個人の意見はそれぞれあると思いますけれど。
そういうすべてを受け容れる姿勢、
物事を、もっと大きな視点から見ることの大切さを、
改めて感じます。
そして、そこに愛と慈悲と優しさの心を持つこと、
その心を常に養っていくこと。
これは、法王さまからのお言葉で一番大切だと思ったこと。
それから、
こんなに日本を誇りに思ったことないね、日本っていいね、って、
友人と意気投合したわけなのですが、
彼女とは、海外駐在妻として知りあって、お互いに 「外国好き」 で、
意気投合していた節があったので、
そんな二人が 「日本っていいよね・・・」 としみじみしていることに驚いたのです。
歳をとったから、といえば、まぁそれまでですが
でも、今まで外にばかり向いていた意識が、内に向かってきたってことじゃない?!
って、いうことになり、二人してまた感動していたのです。
自分たちの成長に
そうやって、バランスが取れてくると、
生きるのが本当にラク。楽。
楽しい。
Happy
に、なります。
なんだか、話がバラバラになってしまってる感じですが、
いろいろと、じんわりと、自分の中で全てが広がって、沁みわたって、
つながっていく感覚を、私なりに、ゆっくりと感じているのです。