■神への捧げものとなるように曼荼羅アートを描く(仕事をする)

 

 

美しい宮古島からこんにちは。

曼荼羅アートの岩本幸子(ユキ)です。

 

 

先日、敬愛する師Moojiのメルマガで、素敵な曲のご紹介をいただきました。

 

あまりにも直接ハートに響いて、聞いているだけで涙があふれてきたので、このブログでもご紹介したいと思いました。

 

 

 

「Beloved One」とは、日本語だと「最愛の人」と訳したらいいのでしょうか。

 

この曲は、恋人を想って歌っているというより、

敬愛する師への想いでもあり、

内なる神への愛の歌のように聞こえます。

 

ある意味、究極のラブソングでもあります。

 

 

いつも私の胸を打つ音楽は、

(内なる)神への祈りだったり、神への愛を直接表現していると感じるものばかり。

 

キルタンのマントラだったり、祈りの歌だったり。。。

 

そのような音楽の中に感じるものは、

共通して、

「エゴ」という自己満足を超越している何かをいつも思い出させてくれるからです。

 

「人間としての「自分」をすべて神に捧げる」

そんな深い思い(=神への愛、完全な委ね)が伝わるもののなかには、何か純粋な、決して歪んでいない何か、

深い真実の在り方のようなものを感じずにはおれません。

 

そして、そのあり方は、

私たちの「本質」そのもののように感じるから

私のハートにまっすぐに響くのです。

 

 

 

 

曼荼羅アートを描くとき、

私はいつも、

「自分の(神への)愛をそのまま描けますように」

と祈りをもって描いています。

 

決して、「エゴ」の自己満足にならないように。

絵が、神を喜ばせるような捧げものとなるように。

私を神に使っていただけるようにとの想いをいつも抱いて描いています。

 

そうして描いていると、

本当に幸せで、

愛だけの自分で描くことができるようになります。

 

時には、

(曼荼羅アートを描かせてくれる方がいらして、

その方の持つ神聖な魂の輝きを感じながら描くことがあるのですが、)

そのあまりの美しさに、涙が止まらなくなることさえあります。

 

 

 

 

話を最初に戻しますが、、、

 

この人の歌からも、「神にすべてを捧げている」感が直接感じられて、

「私もこの人のように仕事(絵を描くことやヒーリングをすること)を神にすべて明け渡したい」

ととても深く共感をしたのです。

 

神への愛のために仕事(絵を描くことやヒーリングすること)をすることは、普段の生活の中ではあまり例を見ないので、

ついお金のためだったり、自分のためだったりに仕事をしそうになってしまいそうになります。

 

でも、それでは自分自身がどこか殺伐として深い部分では決して満たされなくて、仕事をする喜びも半減してしまうのです。

 

この歌から、

何かとても大切なことを思い出させられた気がして、

本当にうれしかったのです。

 

 

 

 

 

表面的な何かを満たそうとして、世の中の動向に流されることなく、

自分の内側にある「本質的なもの」に常に立ち戻れるように。

 

その「本質的な何か」は、

外側がどんなに変わっても、決して変わらずに、

普遍的に内側にあり続けるので、

決してなくならない幸せを自分の内側に見出すことができます。

 

私にとっての絵は、

いつでもこの「本質的な何か」を思い出させるものであって、

私の「エゴ」を満たすものではないのだということ。

 

そして、同じように願う人のために、

私の絵があることの喜びは、

何物にも代えられません。

 

そのことを思い出すことができるたびに、

本当に幸せで仕方がありません。

 

 

 

 

 

どうかいつでも内なる神の導きにつながっていられますように。

心の平安と幸せと共にありますように。

 

Om Shanti.

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