今日は少し悲しいけれど、強くて優しい女のひとのお話。
2013年の今日、4月13日は
母の末の妹、叔母の命日となりました。
もう、あれから3年目の桜のときを迎えました。
関東はもう桜は終わりだけれど
私の故郷はまだ咲いてるかな。
叔母は独身で 定年退職まで郵便局で働き
若いときに買ったマンションもバリアフリーにして
これから悠々自適な生活をしようというときに病に倒れました。
まだ十分に若く、快活で行動的なひとでしたが、
からだがあまり丈夫ではなかった叔母は
たぶんいつもと同じように
軽い気持ちで病院に行ったその年末に
命の期限を医師から知らされたとのことでした。
余命3か月です。
そのときのことを
仲良しだった もうひとりの姉である別の叔母に
こう言ったそうです。
『 頭の中がまっしろになって、
医者の出した書類に署名するように言われて
名前を書こうとするんだけど、漢字が思い出せなかったよ 』
人生の残り時間を、ある日突然知らされたら
どんなひとでもパニックになる。
肉体は失われても、魂は不滅と知っていてもね。
それは、
私には想像もつかないほどの苦しみだったと思います。
叔母はつきっきりで世話をしてくれた
私の従妹である姪以外には泣き言も言わず
なんとか生きようとし、
『 桜が見たい、桜が咲くまでは 』 ![]()
と 言って
宣告された余命にひとつきとちょっとを足して
2013年の今日、天使になってしまいました。
そして
伯父や他の叔母たちが、
病院のベッドを整理していたときに出てきたのは
宛名が書かれたたくさんの封筒。
そして便箋には友人あてに綴られたお別れの言葉たち。
それは、誰宛てとも書かれず、たった一通のみ。
伯父たちは、
この 最後の手紙を 封筒分コピーして
宛名全員に出したのでした。
会うことのできない大切なひとたちに
知らせる叔母の最後の手紙。
なんと、悲しく 潔いひとだったのだろう。
それから
雪の地方の春。
少し遅いけれど桜は咲きました。
叔母を乗せた葬儀の車は
満開になった桜の脇に少し止めてくれて
叔母と私たちに 花見をさせてくれました。
あれから 桜が咲くたびに
ああ、今年の桜、見てるかなぁ
と 思います。
私は遠くに住んでいて、
いつも会えるわけではなかったし
お見舞いも数えるほどしか行けなかった。
命の期限は誰にでもある。
どんなに名のあるひとにも
どんなに強いひとにも。
だから、せめて丁寧に
日々の命の記録を綴り、命の機を織ろう。
流されて忘れてしまうこともあるけれど
叔母を思い出すとき
丁寧に丁寧に
生きてゆきたいと もう一度思うのです。
今、叔母のお墓は祖母のとなり。
見晴らしのよい山のほうに建てられて
そのとなりには桜が二本植えられています。
祖母の名前と叔母の名前を付けられた二本の桜の木。
今年は咲いたかな、祖母と叔母の桜 ![]()
でもきっと、
お墓で眠ってなんていないね、叔母さん。
最高に気に入ってた着物を素敵に着て
大忙しで 空高く飛び回っている ![]()
桜の天使になった叔母は
桜前線に乗って日本をきっと北上中
ほんとに、よくがんばってるよねぇ ![]()
私がつぶやくと
あんたもね、がんばって
叔母がそう言っている気がした。
今日も 私は空を見上げる![]()
読んでくださった方、ありがとうございました ![]()
どうぞ今日も丁寧にお過ごしくださいね![]()