「祈り」
それは宇宙が生まれたその時からそこにあった
その時から今日まで、そしてこれからもあり続ける
私たちはその「祈り」そのものである
祈るものは、その祈りそのもの
その中に「私」は存在しない
私たちが祈る前から「祈り」はそこにある
そのことに目を向けず「私が祈ろう」とすることは
自分の思いや願いを叶えたいという欲望でしかない
特別な場所、儀式、言葉、人、様式により
祈りに到達することはない
また、祈りに深みを増すこともない
この瞬間から瞬間に移るその隙間に祈りはある
それを知ろうとすることは意味のないこと
肉体は「祈り」を引き寄せ、表現する楽器のようなもの
ただここにある「祈り」の中に身を置いて
委ねる
「祈り」がそれを奏でる
そこには ″平和″ ″自由″ ″美″ ″創造″ がある
Anpo Wicahpi