他者への祈りをしていても、

実際に本人に会った時、

何か言われたりすると、

その言葉を

受け入れられなかったりします。



そして、

その理由を

相手に求めたりして、

真理とは真逆の思いに

支配されます。



そんな時は、

素直に

“受け入れよう”

と思うことなんですよね。




そのように思った瞬間、

サラサラサラサラーと、

詰まっていたものが流れて

爽やかな気持ちになります。



そして、また

他者の幸福のための祈り

を続けることができます。



主に感謝です。




支部の中でも、

そのようにすれば

もっと広がるような気がしますが、

簡単ではないんですかね・・・