村岡花子が東洋英和女学校に在籍中、柳原白蓮(当時:柳原燁子[あきこ])と衝撃的な出会いをする。
それは花子が16歳の時で、燁子はこの時23歳であったそうだ。
その3年後の明治44年に燁子は炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門と政略結婚させられることになり、花子のショックは大きかったそうである。そんな炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門邸へ行ってきたので、ここで紹介したい。
写真も撮ってきたのですが、あまりに多いので一部だけ紹介しようと思う。
まずは表玄関
次は書斎
中庭
燁子と天皇家との関係を証明づけるもの
最後に伊藤伝右衛門邸で見つけた御菓子を紹介しようと思う。
この御菓子、二年半ほど前知人が持ってきていただいたものであるが、この御菓子はふじい庵 という御菓子屋さんのご主人以外、誰もそのお菓子の製法を知らなかったのである。その後この御菓子を作っていた御主人が亡くなり、「店は閉めたのではないか」という話を聞いていたのだが、その御菓子と再びこの場所で出会うことが出来た。
村岡花子と柳原白蓮の親しい間柄を知り、この伊藤伝右衛門邸へ立ち寄らせていただいたのだが、まさかここで出会うとは思わなかった。
ちなみに現在この御菓子は御主人の妻と、その間に生まれた娘さんの二人で作っているのだそうである。