サデコMONOがたり (sadeco-monogatari.com)

障害を持つ方がつくったお菓子。かわいいキラキラ

シュトーレンはまだ食べてないですが、クッキーは美味しかったです。

 

次女(3歳)が去年からyou tubeの「よしお兄さんの”あわてんぼうのサンタクロース”」が好きなのですが、

あばれんぼうのシャンタクロースサンタ見たい」

と言っていてツボでした。

(注:よしお兄さんは、NHKおかあさんといっしょの元体操のお兄さん)

 

ちなみに…子供たちは「おかあさんといっしょ」をあまり見ないテレビのですが、以前私が立ち話をしたお偉いさんが、「娘のピアノが2台あって家が傾く」と言っていて(全然、自慢とかそういうのではなく。)笑っていたのですが、数日後に別の人から、あの方の娘さんは現歌のお姉さん(あつこお姉さん)だと聞いてビックリしました。

 

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パール・バック「母よ嘆くなかれ」の感想を書く前に、面白かった(かなりクセがある)本の紹介。

 

私が高校時代に読んで最も衝撃を受けた本は、カミュの「異邦人」。

 

すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。

 

この終わりは本当に胸を打ちました。

まだ読んだことがないカミュの「ペスト」が今週届くので楽しみです。

 

結婚前は、本やたっくさんの映画を見て友人と語り合いました。あの時期は、自分のために時間とお金を使える黄金期でしたね…

その時友人に借りた本。当時の自分のレビューを端折って転載。

わが悲しき娼婦たちの思い出』G・ガルシア=マルケス
満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。

 

というこの本の書き出し。衝撃的だ。
なんなんだ、このエロジジィは・・・と思いながら読み進める。
恋するメルヘン翁の妄想、嫉妬。恋愛は、古今東西老若男女、一緒なんだなぁ。(マルケス当時77歳)
でも90歳という超現実的な設定が、ミソなのか?70歳とかだったら、妙にリアルで気持ちが悪い。うちの88歳になるおじいちゃん(最近の口癖は「もうあかん、もう(あの世に)参らしてもらう」)を見ているとこのジィさんの元気さ加減は私には現実離れしているように思える。(ラテン系のジィさんは違うのかしら)

ちょっと切なく、老人賛歌のキラキラした小説だったぴかぴか(新しい)(含蓄のあることばや笑える文も多い)

・・・と思ったけれど、やっぱり納得いかないところがあったのでamazonの書評を見ると、「結局これは、男が金と力とクスリにあかせて未成年の女の子を蹂躙する醜悪な強姦小説」というのがあって、ナルホドと思いました。そういう目で見てみると、確かに!!とか思って。

 

90歳まで人を愛したことがなく、お金で数百人の女性と関係をもってきた主人公。
14歳の少女に会って初めて肉体以外の愛の喜びを知り、自分の死を意識するほど、強く愛する。

老人の家に長年居るお手伝い、ダミアーナもかわいそう。
「私は人を愛したことがないんだ、と言うと、彼女はすかさず、私はありますよ、と答え返してきた。彼女は仕事の手を休めずに、私は二十二年間あなたのことを思って泣きました、と言った。」
こんなダミアーナをほっといて娼家通いに励み、挙句の果てに14歳の少女に現を抜かす老人。切ない。

 

mixiに書いたらたくさんコメントが付いたのですが、↓友人のコメント。

この小説はネタばれの最後にあるように「切ない小説」ですよね。
なにが切ないって、いい歳こいたジジイが14歳の少女にいれあげるという、滑稽としかいいようがない恋が切ない。

lajujさんの指摘どおり、少女はジイさまと一緒にいるときは常に寝ているわけで、これは一種の人形愛ですよね。相互交通の恋ではないし、少女の方がジイさまを愛していたということはありえないと思います。ラストのおかみの言葉は、明らかに「営業トーク」ですよね。

そのことにこのジイさまがどこまで自覚的だったかは読み方によって分かれるかもしれませんが、要するにこのジイさまは、ダミアーナのように本当に心通わせるべき相手との恋愛からは逃げ続け、お人形としての14歳の少女との恋愛ごっこに熱中するわけで、そこに、90歳にもなってなお、人と心を通わせることに臆病なジイさまの弱さと悲しさがあるのだと思います。


でも、その弱さとか悲しさってのは、たぶん、誰の中にもひそかにあるものですよね。だからこの本を読む人の多くは、このジジイのことが嫌いになれないし、応援したくもなってしまうのだとも思います。

 

猫のゆりかご』カート・ヴォネガット著
「ノーモアぬかるみ」の要望のもと、原爆の父・ハニカー博士が開発したアイス・ナインにより、世界は終末を迎えた・・・
奇人・変人ばかりの登場人物+ぶっ飛んだストーリーのなかで、科学や宗教、戦争、人間の本質などを描き出す小説。架空の「ボコノン教」という宗教が根底に流れています。

お気に入りの名言
メモ「新しい知識は、地上でもっとも高価な日用品だよ。関わり知る真実が増えるほど、われわれは豊かになる」

メモボコノン教の詩『カリプソ』から
「'パパ'モンザーノはわるいやつ だけど'パパ'がいなければ おれはきっと悲しいだろう
だって、悪者の'パパ'なしで このごろつきのボコノンが 善人面できるわけがない」

メモ数百万ドルを湯水のように使いながら、人類には迷惑以外の何をももたらさないという目を見張る才能を持ったジュリアン「何が重要か、あいつにわかるのかね?バナナバナナを彫っても、もっとましな人間が作れる」

メモ「彼女はたしかにぼくの心を踏みにじりました。そのことでは、腹がたちます。でも、それは代償なんだ。手に入れたものの代金は支払うことになっているんですよ、この世の中では」

メモ廿日鼠と人間の言葉はかずかずあるなかで、もっとも悲しむべきは、『だったはずなのに』

メモ『民主主義に殉じた百人の戦士』記念式典でのスピーチは特に感動ものでした。
「永遠に記念さるべき彼らの栄誉にかけても、永遠に記憶さるべきわたしたちの不面目にかけても、彼らは男らしく死んで行きました。
しかし彼らが、戦争で殺された子供たちであることに変わりはありません。
だから、今この世にないサン・ロレンゾの百人の子供たちに心からの敬意を払うのだったら、彼らを殺したものを軽蔑しながらその日をおくるのが本当だと思うのです。彼らを殺したもの、つまり、全人類の愚かしさと邪悪さです。」

皮肉とユーモアと示唆と真理に溢れた名著でした。

突拍子もないけど深遠である、という点で安部公房の『』を思い出します。名前に逃げられた主人公・カルマ氏の悲しみと苦悩に、胸が締め付けられます。こちらはヴォネガットと異なり、重苦しい。。

 

 

という過去の自分のレビューを読んで、ヴォネガットも何か読みたくなりました~

 

ヘルマン・ヘッセも好きでした。車輪の下とか。

シッダールタ
シッダールタの喜び、悩み、悲しみ、楽しみ、怒り、苦しみが自分のものとして感じられた。
私のひたすら念ずるのは、世界を愛しうること、世界をけいべつしないこと、世界と自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と賛嘆と畏敬をもってながめうることである
「一つの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。」

 

 

昔感動した本も、読み返すと色々感じるところが違うんだろうなぁ。