一昨日、長女の夢にアルマンが出てきたみたいです。羨ましい。
アルマンの顔を描く長女。額にハートマークがあります。
ところで先日の火葬場での話ですが、
炉に入れられるところを動画に撮っていたら、そこのスタッフ(ベテランの年配の人)に「やめてください」と注意されました。
私の子なのに、とイラッとしました。
(写真や動画を撮るなんて常識的にはおかしいのかもしれないですね。でも私は全部記録しておきたかったのです。)
こんな本があることを金曜に知りました。読んではないんですが。
火葬場の仕事師は炉にスイッチを入れたら終わりなのではなくて、中の様子を見ながら調整する職人技が必要らしいです。
何体(何百?何千?)ものご遺体を送り出した仕事人であるからこそ、ビデオなんて!と思ったのかもしれないな、と思いました。
炉から出てきたアルマンは、棺も大量のお花もすっかりなくなっていました。
忘れられない光景です。
ペンダントに遺骨を納めたものを持ってます。
今、指輪を手配中です
会社の人権啓発研修で、「いのちと人権」という題目で青木新門氏に講演していただいた。
青木さんは『おくりびと』のもととなった『納棺夫日記』と著した人。(私はおくりびとを観ていないし本も読んでいない
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青木さんは『おくりびと』のもととなった『納棺夫日記』と著した人。(私はおくりびとを観ていないし本も読んでいない
ユーモアあふれる語り口調で、1時間半の講演に釘付けとなった(私は後日、DVDを借りて見たのだが)。とても書ききれないほどの内容でうまくまとめることができないけれど。
富山に生まれ、5歳で満州へ。収容所では弟が死に、母は病気で隔離された。妹と2人で生活するが、-20℃にもなる冬のある朝起きると妹が死んでいた。彼は妹を担いで火葬場へ置いてきた。これが彼の原体験である。
終戦後母と富山に帰る。母は市内へ働きに出掛け、彼は叔父の世話になる。その後、早稲田大へ入学するも中退。富山で母の経営する飲み屋を手伝ううち母と意見が食い違い、自分で店を開く。常に満員であるもののツケばかりで、店が倒産。女房と乳飲み子を連れて6畳一間のアパートへ夜逃げする。
「ドライミルクも買えない」と妻と喧嘩になり投げ付けられた新聞の求人広告が目に入る。『新生活互助会(富山初の冠婚葬祭の会社)社員募集』のフレーズにひかれ覗いてみると、社員2~3人の小さな会社。その頃納棺は100%親族がやる時代。お棺を運び、親族(素人)が酒で酔払って嫌々やるのを見ていると、つい手を貸したくなる。手伝ったが最後、「納棺してくれる人が居る」と口コミで広まり会社は発展。彼は納棺専従社員となる(青木さん1人だけ)。
そんな頃、世話になった叔父がアパートに現れ「中退、倒産、そして今では死体をふいて歩くとは。お前は親族の恥だ」と罵倒、絶縁。それまで冠婚葬祭関係の仕事と言っていた妻にも知られ、「汚らわしい」と泣かれる。卑屈になり、人目を避けるような生活に。子供が入学する前に辞めてくれと妻に言われ、辞表をいつ提出するか迷っていたある日転機が。元彼女の父親の納棺に呼ばれたのだ。
彼が1人で作業する中、元彼女(既婚)は涙を浮かべながらずっと彼に寄り添い汗をぬぐった。“していることも含め自分の存在を丸ごと認められた”と感じた彼は、仕事を続けていけそうな気がした。どうせやるなら、と白衣等を新調し言葉遣いにも気を使った。「白い服の人」が評判となり、ますます忙しくなる納棺夫の仕事。
そんな時、叔父の危篤の知らせを受け迷ったが、意識不明ということを聞き、見舞いに行くことにする(説教されるのが嫌だから意識不明ならいいかと思った)。到着した時に丁度意識が戻った叔父。叔父は彼を見て、柔和な顔で涙を流して「ありがとう」と言った。その瞬間、彼は土下座し泣きながら許しを請った。その夜叔父他界。死ぬ間際はあらゆるものが輝いて見えるようだ。その死者の安らかで清らかなお顔を見ていると死体に対する嫌な気持ちがなくなってきた。自分の間違った価値感を見直し、納棺夫として堂々と生きていこうと決意した。
以上が自分史。
昨今の命を軽視する事件(酒鬼薔薇事件など)は、生のみに重きを置き、死を隠蔽してきたことが原因であると考える。死の実相を知らず、バーチャルな世界でのみ生きている子どもたちは人と人とのつながり、絆が欠落しているように思う。昔は親の死に目に合えない者は村八分にされるほど非難されたが、今では美談として語られる(スポーツマンや役者)。
九州の寺の住職が、亡くなる1週間前から親族を集めて死に様を見せた。孫の1人(14歳)が書いた作文には「それまでテレビで、人が死んで泣いているのを見ると不思議だった。でも亡くなる前の3日間でおじいちゃんに本当の人の命の尊さを教えてもらったような気がする」とあった。死から目を背けていると見落とす一瞬の命のバトンタッチがあるのだ。
青木さんが言いたかったことが全然伝わってないかもしれませんが、このへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
富山に生まれ、5歳で満州へ。収容所では弟が死に、母は病気で隔離された。妹と2人で生活するが、-20℃にもなる冬のある朝起きると妹が死んでいた。彼は妹を担いで火葬場へ置いてきた。これが彼の原体験である。
終戦後母と富山に帰る。母は市内へ働きに出掛け、彼は叔父の世話になる。その後、早稲田大へ入学するも中退。富山で母の経営する飲み屋を手伝ううち母と意見が食い違い、自分で店を開く。常に満員であるもののツケばかりで、店が倒産。女房と乳飲み子を連れて6畳一間のアパートへ夜逃げする。
「ドライミルクも買えない」と妻と喧嘩になり投げ付けられた新聞の求人広告が目に入る。『新生活互助会(富山初の冠婚葬祭の会社)社員募集』のフレーズにひかれ覗いてみると、社員2~3人の小さな会社。その頃納棺は100%親族がやる時代。お棺を運び、親族(素人)が酒で酔払って嫌々やるのを見ていると、つい手を貸したくなる。手伝ったが最後、「納棺してくれる人が居る」と口コミで広まり会社は発展。彼は納棺専従社員となる(青木さん1人だけ)。
そんな頃、世話になった叔父がアパートに現れ「中退、倒産、そして今では死体をふいて歩くとは。お前は親族の恥だ」と罵倒、絶縁。それまで冠婚葬祭関係の仕事と言っていた妻にも知られ、「汚らわしい」と泣かれる。卑屈になり、人目を避けるような生活に。子供が入学する前に辞めてくれと妻に言われ、辞表をいつ提出するか迷っていたある日転機が。元彼女の父親の納棺に呼ばれたのだ。
彼が1人で作業する中、元彼女(既婚)は涙を浮かべながらずっと彼に寄り添い汗をぬぐった。“していることも含め自分の存在を丸ごと認められた”と感じた彼は、仕事を続けていけそうな気がした。どうせやるなら、と白衣等を新調し言葉遣いにも気を使った。「白い服の人」が評判となり、ますます忙しくなる納棺夫の仕事。
そんな時、叔父の危篤の知らせを受け迷ったが、意識不明ということを聞き、見舞いに行くことにする(説教されるのが嫌だから意識不明ならいいかと思った)。到着した時に丁度意識が戻った叔父。叔父は彼を見て、柔和な顔で涙を流して「ありがとう」と言った。その瞬間、彼は土下座し泣きながら許しを請った。その夜叔父他界。死ぬ間際はあらゆるものが輝いて見えるようだ。その死者の安らかで清らかなお顔を見ていると死体に対する嫌な気持ちがなくなってきた。自分の間違った価値感を見直し、納棺夫として堂々と生きていこうと決意した。
以上が自分史。
昨今の命を軽視する事件(酒鬼薔薇事件など)は、生のみに重きを置き、死を隠蔽してきたことが原因であると考える。死の実相を知らず、バーチャルな世界でのみ生きている子どもたちは人と人とのつながり、絆が欠落しているように思う。昔は親の死に目に合えない者は村八分にされるほど非難されたが、今では美談として語られる(スポーツマンや役者)。
九州の寺の住職が、亡くなる1週間前から親族を集めて死に様を見せた。孫の1人(14歳)が書いた作文には「それまでテレビで、人が死んで泣いているのを見ると不思議だった。でも亡くなる前の3日間でおじいちゃんに本当の人の命の尊さを教えてもらったような気がする」とあった。死から目を背けていると見落とす一瞬の命のバトンタッチがあるのだ。
青木さんが言いたかったことが全然伝わってないかもしれませんが、このへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
追記。
インタビュアーがマザー・テレサに質問した。「世界平和のために私たちに何ができるでしょうか?」
彼女は瞬間的に答えた。「あなたが家に帰ったら、ご家族に『ありがとう』と優しい言葉をかけてください」
彼女は瞬間的に答えた。「あなたが家に帰ったら、ご家族に『ありがとう』と優しい言葉をかけてください」

