お久しぶりです♡

 

最近とにかく仕事が忙しくて正直、気持ちがBTSどころじゃないって感じだったのですが、love wins allを見てみようと思えたのは、多少の余裕が戻ってきたからかもしれません。

 

みなさんは変わらずお元気でお過ごしでしょうか。

 

ご存知の通り私はSNSを見ないので、MVの解釈も自分の妄想でしかないのですが、あの洋服の山を見てSpring DayのMVを思い出した方、いらっしゃいませんか?私がBTS史上最高の出来だと言い張っているあの動画です。

 

 

以下、上記投稿からの引用ですが、

 

NO MAN'S LAND (2010)

 

防弾少年団(BTS)「Spring Day(春の日)」考察・解説 | トレタメ : "共感"するエンタメ情報サイト

 

日本との縁が深く、高松宮殿下記念世界文化賞も受賞しているクリスチャン・ボルタンスキーの作品。「ノーマンズランド(中間地帯=敵対する両軍の最前線でいずれにも占拠されていない土地)」というタイトルの「生と死に関する思考」をテーマにしたショーケースの一部として展示されました。Clothes As Bodies: The Art of Christian Boltanski - SevenPonds BlogSevenPonds Blog

 

“In my work there have always been a lot of photos of people, heartbeats of people—for me the clothing are people.”

「私の作品には人間の写真がたくさん登場してきたし、それはすなわち人々の鼓動そのものだった。だから僕にとって洋服は人間そのものなんだ」 

 

生前、こんな発言をしていたボルタンスキーがクレーンを使用して作った6000着もの洋服の山は、その巨大なサイズそのものによって失われた心の重さを描いている、ということですが、1着1着がそれぞれ1人の人間を象徴しており、この作品に関して、ボルタンスキーは、「洋服に匂いがなかったためにそれらを身にまとっていた人間の気配がイマイチ伝わらなかったことが唯一の後悔だ」と語っていたようです。

 

作品を制作するのに使われたクレーンは「神の手」を意味しており、クレーンが洋服を重ねるたびに、その洋服に身を包んでいた人間の魂が積み上げられ、より高い場所へと導かれていき、できあがった「人間の山」は死者が休む「永遠のあの世」を意味しています。また、様々な洋服が境なく積み重なる光景が象徴するように、人間は死に際して混ざり合い、生きている時の個人としてのアイデンティティーが消え失せ、ただ「大きな山の一部」になるのです。

 

「ノーマンズランド」は、「運命を避けることは不可能であり、選択肢の欠如にこそ自由がある」と示しています。つまり、我々はいつどう死ぬかなどということは選べないし、死を免れることはできないわけだけれど、その事実を抱き留めることは安らぎと自由を与えてくれるのです。

 

“When the clothes are falling down, it’s very optimistic. Like souls, they are free.”

「洋服が落ちていくときというのはとても楽観的な光景なんだ。それは魂のように、自由だから」

 

引用終わり。

 

まさに今回のMVのモチーフじゃないですが??

 

MV序盤で登場する、あの不気味な箱。そこから発せられる何らかのエネルギーが世界を破滅に追い込んでいく中で、なぜかIUちゃんとテテだけが生き残った、というような設定なのかな。生き残る過程で、テテは右目の視力を奪われ、IUちゃんは聴力を奪われた、という前提からスタートする物語。

 

最初から洋服の山が登場するあたりが、2人がすでに生と死の間に位置する「ノーマンズランド」にいることを示唆していますよね。この場所では、あの特別なカメラをお互いに向けた時だけ、そのレンズを通して、かつての自分たちの世界に戻ることができる。他の人間を呼び覚ますことはできなくても、生き残った2人のために、世界は光と色を纏い、音楽を奏でる。

 

残念なのは、「ノーマンズランド」はいつまでもいられる場所ではないということ。例の箱は確実に近づき、彼らを死に追いやろうとする。

 

そして不気味な光を放つ箱に、ついに追いつかれた彼らは最後の力を振り絞って戦うけれど、運命には勝てない。

 

最後にテテの左目を庇うIUちゃんの左手。細い指の隙間から何かが吸い取られていく。

 

これにはいろんな解釈があるでしょう。愛する人には、恐ろしいものは見ないでいてほしい、そういう願いが込められているシーンだと解釈するのが普通なのかな。

 

でもテテは最後まで目を背けません。もちろんIUちゃんも、最後まで箱から目を背けない。

 

ここにこそメッセージがあるのではないかと私は思いました。

 

だって、生きるって所詮そういうことですよね。

 

恐ろしいこと、悲しいことから目を背けて「美しいものだけを見て」生きていくなんて無理だから。テテがかつてそう言ってたとか、IUちゃんもファンにそんな思いを抱いているとか、色々あるのかもしれないけれど。

 

最近クリニックて出会った患者さんで、発達障害がある方がいたんですが、ボールペンへの執着が凄くて、受付のペンを奪い取っていこうとするのを、年老いた父親が止めようとするというシーンに遭遇したんです。30代女性の患者さんだったにもかかわらず、ものすごいエネルギーだったのでお父さんも止め切れないって感じで。私は思わず患者さんに手を伸ばしましたが、周りは呆然と見てるだけで、何とも物悲しいシーンだったわけです。

 

診察室でも、ふとした瞬間に立ち上がって私の白衣のポケットの中を確認してペンを探すたびに、父親が犬に話しかけるみたいに「座りなさい」と声をかけたり、iPadに映ったライオンキングを指差して、気を紛らわせようとしたり、まあ大変だったんですが、何を言ってもオウム返し状態だった患者さんが、ある瞬間、急に診察室のドアにかけられた鏡を眺め始めたんです。

 

すると、お父さんが「鏡は彼女にとってとても特別なものなんだ」と話してくれて。幼い頃に言葉をうまく発音できなかった娘が、スピーチセラピストの膝に座って、鏡に映る口の動きを真似ることで言葉を覚えた、というそれだけの話だったんですが、患者さん自身はその話を理解できるような知能さえないので、ただ鏡に夢中でした。でも私が悲しい、というより、切ないという気持ちになったのは、お父さんの声と表情に物凄く深い愛情を感じたからだと思います。

 

今は施設に住む彼女。両親は離婚し、父親は抗がん剤治療を受けながら、少なくとも病院の受診にだけは付き合っている。その疲れ切った表情を見ると、もちろん不憫な気持ちにもなったし、私の想像を絶する苦労もあったに違いないと思いました。なぜウチばっかりこんな苦労を、と思わされる人生だったかもしれない。その上、患者さん自身はきっと忘れてしまったことの方が多くて、記憶さえ共有できない親子関係の2人。でも確かにそこには愛があったし、今もあるんだよなあ、と思ったわけです。

 

要するに、美しいもの「だけ」を見て生きていくなんていうのは夢物語だけれど、大変な日常の中でも美しいものを胸に留めて生きていくことはできるはずで。

 

最終的に、箱ごときに全てを奪われることになったとしても、魂はどこまでも自由でいられる。

 

そう信じることはできる。

 

そんなことを改めて考えさせられるMVでした。

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡