お立ち寄りいただきありがとうございます♡
10分で書き終えて寝たいので、いつも以上に煩雑な投稿になるかもしれません。あと最近全くBTSを追えてないので皆さんとだいぶ温度差があるかもしれません。
最近仕事関係がいろいろピンチなんですが、ピンチな時って、ピンチが重なりますよね。今も4つぐらいピンチ事案を抱えています。でもたった1つだとそれに執着してしまうので、4つジャグリングできる状態でありがたいと思うことにした今日この頃、バンタンが2019年に訪れた(実際に行ったのは2018年なのかしら?)ナイアガラの滝を通りかかりました。
この映像では特に気づかなかったのですが、あれだけの量の水が落ちてくるわけですから、ものすごいミストが発生するわけで、私が見た時にはものすごい大きさの虹がかかっていました。あの旅行で彼らが訪れたトロントは、歴史的にとてもLGBTQフレンドリーな街で、その近くに位置するナイアガラ地域も家の軒先や歩道にたくさんの虹色の旗が掲げられていました。
プライド月間でもないのに、レインボーグッズもたくさんありました。アメリカとカナダの国境をつなぐ橋も、もちろん「レインボーブリッジ」。バンタンとレインボー、もともと切っても切り離せないイメージがありましたが、今回改めてグダグダ考えました。何においてもしつこいぐらいメッセージを大切にしてきた彼ら。あの旅行の目的地のトロントにも、ついでに訪れた滝にかかっていたレインボーにも、ちゃんと意味があったと勘繰らずにはいられません。虹の麓で人目も憚らずにキスをしていた🏳️🌈カップルが目に入ったせいかもしれないけれど。
一方でレインボープライドTシャツをお土産にと思って手にした瞬間に頭をよぎったのは、自分がTシャツをあげる人がLGBTQ支持者かはわからないし、支持者だとしてもそれを大っぴらに示すTシャツを着ることに何らかの抵抗があるかもしれないという思いでした。いざ考えてみると、自分だってわざわざこんな意味深なTシャツは着たくないかも、とすら思ってしまいました。差別意識を持っていないことと、指示を積極的に示したいことの間には大きなギャップがあるのかもしれない。変に勘違いされたくないと思ってしまうのはやはり自分の中に差別意識が残っているからなのか。異性とパートナーになってからならこういうのも着やすいかな、なんて思ってしまったけれど、でもそうなったらそうなったで、プライドTシャツを着ることで相手のセクシャリティーを暗に公にすることにならないだろうか、彼は気にするだろうか、などと考えてしまいました。それで結局、Tシャツは買わずじまい。
人によっては、セクシャリティーはいつ変わるかわからないなんて言い方をされますが、私は自分自身がストレートだと確信しています。だから、それがいつ変わるかわからないという考え方を強要されることにも抵抗があります。この確信はもしかすると、私の成長過程で晒された文化や考え方や社会規範などが関係していて、私と全く同じ遺伝子を持ったクローンが、別の時代に別の国で生まれてもストレートになるとは言い切れないけれど、兎にも角にも今の私は自分がアセクシャル傾向があることを除いてはLGBTQには属さないことを確信しています。(←また勝手に宣言。)
だから、LGBTQの当事者の気持ちは到底理解できないし、そもそも軽々しく胸元に支持を表明することはしちゃいけないのかもしれない。でも、グクとテテが本当にそういうことなら、全面的に支持したいし、彼ら以外にも苦痛を感じているLGBTQの人たちがいるとすれば、彼らの苦痛が、異性同士のカップルのそれと質の違うもので無くなる日が1日でも早く訪れればいいと強く願っています。それは絶対に間違いないのだけれど、やっぱりプライドTシャツを買いきれなかった自分もいて。
翻って、グクやテテの濃密なLGBTQ支持行動を思い出すと、いろんな意味で胸が熱くなります。もしストレートなら、とにかくかっこいいとしか言いようがない。多様性が主張されるこの世の中、もちろん正論としてはLGBTQ支持を表明した方がイメージはよくなるに決まってる。でも自分が当事者だと「勘違い」されるリスクは、自分をブランディングしなければならないセレブリティーなら特に慎重に考えたくなるはず。だから、グクのソロ活動一発目が、ゲイカップルを描いたMVだったということも、テテが一貫して多くのLGBTQアーティストに言及する姿勢も、本当にかっこいい。
でも一方で彼らが本当に当事者であるならば。プライドTシャツを買えなかった情けない私の心の内をこんなネットの片隅で告白しても何の謝罪にもなっていないけれど、眠りにつく前にしっかり謝りたい。
虹を映し出す大粒のミストを顔に浴びながら、美しい虹の正体は、今まで苦しんできた人たちの大粒の涙であることを思い出したのは事実だから。
上記はいつかナムジュンが影響を受けたと話していた楽曲です。
And I can't change
Even if I tried
Even if I wanted to
変わろうとしても無理
頑張ったけど
変わりたくても無理なの
最後までお付き合いくださりありがとうございました♡
追記:
すでにたくさんのいいねとコメント、メッセージ本当にありがとうございます。過去記事にコメントをくださった方もありがとうございます。一夜明けて自分でも言葉足らずだと思ったところを補足したいと思います↓
このブログでは以前から、「LGBTQであると勘違いされることが侮辱に値する」という考え方にはLGBTQへの差別的な意識があるということは指摘してきましたね(これは多くのLGBTQの方々が主張してきたことです)。それは私も理解しています。何ならLGBTQだと思われること自体は、日本人が韓国人に間違われるようなことで、別に目くじらを立てることではない。それならなぜレインボーグッズの前でモジモジしてしまったのか。
それは、LGBTQへの差別が自分に向けられることを恐れたからだと思います。店頭やレストランなどで軽い人種差別?と疑ってしまうようなことも経験し、最近は就職活動での差別にも警戒しているので、今ちょうど人間不信期に差し掛かっているんだと思います。そこで抱いてしまうのが、LGBTQなんじゃないかと詮索されるような主張は「あえて」しなくてもいいんじゃないかという妙な防衛意識。
私みたいな煮え切らない女々しい人間がたくさんいるから差別って中々なくならないんでしょうね。って女々しいなんて言葉をここで使うこと自体が女性への差別ですね。。。ついでに言ってしまえば「女子力」なんて言葉も然り。女性「だけ」がナヨナヨしていて家事と心遣いと身だしなみに優れた類のホモサピエンスだと解釈するような言葉は広辞苑から消し去らなきゃですね!
思いっきり脱線しましたが、このブログを読んでくださるLGBTQ当事者の方々が不快な思いを抱かれるような誤解は避けたいと思い追記しました。私自身も一緒に差別を背負って跳ね返せるよう、成長しますね。