視線の先アートと共に。






前記事の大腸検査で切除したポリープは、

病理で精密検査した結果、

腫瘍ポリープだったことが判明。

(放置していれば癌化するポリープ)

良性のうちに切除できて幸いだったことを、

改めて感謝しましたお願い







正直、

非腫瘍ポリープだろうと楽観視していた。

(放置してても癌化しないポリープ)

というのも、

過去に胸や腕に繊維腺腫(良性ポリープ)が出来たことがあって、

何度か切除してきた経緯があったもんだから、

そういうのができやすいのかなキョロキョロ

くらいに思っていて。







何より、

家族にも、直系の身内にも、

癌になった人がいなかったため、

わたしにその可能性の種が宿り育っていたの?

ってことが違和感だった。

だとしたら…

原因はなんだったんだろうって、

自分と向き合わざるおえなかったし、

そうこうしてるうちに、

思い浮かぶ自覚も生まれてきたりした。






今年も美しい自然アート。






東洋医学では、

感情と内臓には密接なつながりがあるとされている。

我慢して溜め込み過ぎていたり、

やたらと高まり過ぎていたり、

無意識で気付かないからこそ、

感情バランスを崩していれば、

その影響が関連する内臓に出るという考えかた。

(あくまでも要因のひとつとしてであって、

 食生活や生活習慣なども原因になり得る。)




 



大腸は五行でいえば「肺」に属するのだけど、

(西洋医学でいう五臓とは別の捉え方)

憂、悲、の感情バランスが、

影響するとされているのらしい。

自分を見つめてみると自覚があった。。。

ポリープだっていきなり2センチになったわけじゃなし、

年数をかけて成長したのだろうから、、、

ここ何年かの自分を振り返ってみると…

思い起こされる出来事や、

感情に苛まれてる自分の姿が、

幾度となくフラッシュバックした。







わたしはちゃんと、

憂いや悲しみを外に出してあげてたのかな?

自分の中に溜め込んで蓋をして、

見て見ぬふりをしていたんじゃないのかな?

悲しいってちゃんと声にしていたかな…

悲しいときちゃんと涙を流していたかな…

それさえもやらずわたしは、

ぜんぶ、 ぜんぶ、

自分の中に閉じ込めてはいなかったか…?







あのときのわたしはどうだった?

ほんとうに笑いたかったのか?

あのときのわたしはどうしてた?

ほんとうは泣きたかったんじゃないのか?







ポリープの違和感から、

自分と向き合う機会をもらった。

閉じ込めた感情の隙間を埋めるために、

食生活や生活習慣が、

代償行為になってはいなかったか???

(確実にやっていた自覚あり)







今回の出来事がなければ、

ここまで過去の自分に会いにいっただろうか…

ここまで過去の自分と会話しただろうか…

きっとこのまま淡々と似たような日々を、

やり過ごしていたのかもしれない。







絶妙な色具合にキュン。







まだ2センチのうちに発見され、

良性のうちに切除できたという、

ラッキーな運びに感謝しているお願い

同時に思ってもいた。

腫瘍性ポリープが育っていたという、

この結果には原因があること。







結果は目に見えるけど、

原因は目に見えない。





結果には必ず原因がある。

目に見える結果を引き起こしてるのは、

いつだって目に見えない原因だ。






原因が先で、

結果が後だ。






わたしのこの結果にも、

必ず原因があったのだ。

目に見えない原因があったから、

目に見えるカタチを成したのだ。

結果だけに意識を向けて、

あー良かった!で終わらせてしまっては、

きっと何も変わらない。

何も変わらなければ、

また同じことが繰り返されるだけだ。







原因は目に見えない。

だから見過ごしてしまう。

そのままやり過ごしてしまう。

結果が目に見えてはじめて、

少しずつ、 

ようやく少しずつ、

原因が見えてきたりするものだ。

それも意識を向けて内観するからこそ、

顔を出してくれるようなものだ。







タイムライン上の自分を遡ってみて、

今だからこそ見えてくることがある。







個性の同居感を眺めるのが好き。







出来事はいつだってサインみたいなもので、

結果はいつだってメッセージなんだろう。

過去の自分から送られてくる、

気付いてよサインとメッセージなんだ。







今回の出来事というサインを通して、

閉じ込めていた感情に気付いたし、

一見淡々と生きているような自分が、

そういえば実は、

人生において抑圧癖があったことも思い出した。

知らず知らずに閉じ込めて我慢していた気持ちが、

本当は心のどこかにあったのかもしれない。

かつてのわたしはもしかしたら、

そんな自分を責めていたかもしれないし、

自己否定をしていたのかもしれないこと。

無意識にやっていて、

そのことにすら気づいておらず、

憂いや、悲しみの種を、

せっせと育てていたのかもしれない。

だとすれば不安や心配にばかり、

意識を向けていたのかもしれないのだ。

(それが未来への起点で作用点で、

 原因になるとも知らずに。)







今のわたしはこう思う。

それが悪かったとか、

それがダメだったとかじゃなく、

そんな自分もいたんだってことを、

ただただ、受け入れてあげようと思った。

そんなところがあったからこそ、

できあがったのが今の自分なんだよって、

まるっと、

自分のぜんぶを抱きしめてあげたいって。







みんなと違っていたっていいんだよ。



 




以前ならばしていたであろう、

否定という発想はもう今のわたしには無く、

新たな視点やイメージをとりこむことだけが、

筋トレのように日常化されている。

今どんな自分で在りたいか、

今なんのために生きるのか、

満たす視点を増やすことと、

そのイメージを膨らますことしか、

やることはないと思っている。

それが未来への起点であり作用点であり、

結果を創り出す原因であることを、

今のわたしはもう知っているのだと、

今回のことに対しての自らの反応で実感した。

体験からしか実感が伴わないことも。







自分を抱きしめる機会をもらったのだと思っている照れ





 


人生に起きる出来事、

そのどんなことにも必ず原因と結果がある。

なんにつけ、

人はどうしても結果にばかり目を向け、

結果対処にばかり意識を注ぎがちだけれど、、、

本当に大切なことは、

目には見えない原因のほうだ。







ハート発見♡







身体の声は心の声、

目には見えない心が、

目に見える身体に渡すバトンなのかも。




 



身体の声をもっと聴こう、

わたしの声をちゃんと聴こう、

それができるのはわたしだけなんだから。

しているつもりでいた自己対話、

わたしとわたしの関係性に、

まだまだのびしろを感じた今回の体験ウインク

それに定期健診は大事…を、

つくづく思い知った出来事でした







みなさんもご自愛くださいねお願い

私的な記録にお付き合いくださり、

ありがとうございました!