樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、
開発によって恩恵を受けるのは一握りの富裕層にしか過ぎません。






坂本龍一さんの言葉です。
手紙全文がこちらに。





読み進めているうちに涙が溢れ出ました。







もう25年ほど前にもなりますが、

坂本龍一さんとは、

仕事で1度お会いしたことがあります。

お帰りの際、

車までのお見送りを任され、

エレベーターへご案内すると、

乗り込むや否や突然、

「会ったの初めてじゃないよね?」と言い、

ビックリしたわたしが、

「いえ、初めてです…」と言い、

坂本さん 「えっ、前にも会ってるよね?」

私 「いえ、お会いしてないです。」

坂本さん 

「いや、どこかで会ってると思うんだけど?」

「今日が初めてです…」

坂本さん、

「あれ… おかしいな、

 前にも会ってると思うよ…」

私 

 「お会いしたのは今日が初めてです…」

坂本さん、

 「いやいや、どこかで会ってるって。」

私「… … … 」

エレベーターの中で、

こんなちょっとした押し問答のような、

謎のやりとりを交わしたのでした。笑

それがあまりに印象深くて、

今でも鮮明に記憶に残っています。

一文一句すべて正確な言い回しではありませんが、

やりとりの状況はそんな感じだったのです。

もうひとり見送りに同行していた仕事仲間の女性とは、

今でも会うとその話題が飛び出し、

アレは何だったんだろうね?笑ってしまうほど。







ご逝去のニュースに触れ、

当時のことを懐かしく想起しておりました。













神宮外苑付近は、

今でもよく散歩に訪れる大好きな場所です。

あの樹々たちのお蔭で感じられる癒し、

フィトンチッド、樹々の香り、季節の匂い、

樹々たち在ってこその空気感がそこにはあります。

あの樹々たちを伐採するだなんて、

そんな発想をすることすら、

わたしには全くもって理解ができません。

しかも3000本って… 

目も耳も疑うというか、

何がどうなればそんな発想になるのかと、

言葉を失います。。。







これ以上、

樹々を減らして欲しくない。

やめてほしい。

できることならやめてほしい。

心からそう願います。

誰が何をしようとやめてくれないなら、

何がどう転んでも避けられないのなら、

せめて、 どうかせめて、

最小限にとどめて欲しい。







" 樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然 "



 


坂本龍一さんの仰るとおりじゃないですか?





" これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう "







坂本龍一さんの思いのとおりじゃないですか?








樹々の放つエネルギーの大切さを、

もっと感じてほしい。

植物がどれだけ人間の心身を支えているかを、

もっと感じてほしい。

自然を物質欲の犠牲にしないで欲しい。







" 目の前の経済的利益のために先人が100年かけて守り育ててきた神宮外苑の樹々を犠牲にすべきではありません "







坂本龍一さんの思いに心から共感します。







100年かけて守り続けてきた樹々を伐採するということは、

未来へ手渡すものを大切に守り続けてきた、

大勢の人々の思いをも断ち切ってしまうこと。

目には見えなくても、

樹々が放っているエネルギーは大きい。

目には見えていなくても、

人々が放っているエネルギーは大きい。







わたしも樹々の恩恵に、

日々感謝しているひとり。

微力でも自分にできること、

ひとりひとりにできることが、

きっとある。

この記事もそのひとつ。

微力も積もれば、

同じ思いで手を繋ぐ輪となる円となる。

たとえ目には見えなくても、

思いのチカラは大きい。

祈りのチカラは大きい。













仏陀の言葉に、

「対面同席五百生」というのがあるそうです。

「対面したり同席したりする人は

過去生で500回は関わりを持っている」

という意味なのだそう。

そう思えば、

どこかでお会いしていたのかもしれません。

そしてまたいつの日か、

どこかでお会いするのかもしれません。







坂本龍一さんのご冥福を、

心よりお祈りいたします。















◆樹々や自然がおしえてくれること。