昨年末に眺めてうっとりした彩雲、加工なし。






「 それじゃ今日は?

 将来じゃなくて今をどう過ごしたい? 」




「 将来のステキな自分のために努力する 」




「  " 今日 " がかわいそうだ 」




「 かわいそう? 」




「 遠い未来のことじゃなくて、

 今日のことだけを考えながら過ごせない?

 だめかな? 」


 



韓流ドラマ、

  " 輝く星のターミナル " のワンシーン。

わたしの何かに触れて、

何度もリピートした場面です。









人は何かと、

将来のために…と努力をしがち。

それが悪いということではなくて、

好んでしていること、

楽しんでしていることなら、

きっとそれでよくて、

だけどともすれば知らぬ間に、

努力どころか今を犠牲にしていることに、

気付かないでいることもあったりする。






前向きな努力だったはずが、

いつのまにか我慢になっていること。

将来の自分のためという名目の、

今の自分を抑圧してしまっていること。

マスト的な考えに縛られ過ぎていたり、

ストレスを溜め過ぎていることに、

自分でも気付いていないこと。

(わたしもコレ過去やってました〜)









通り過ぎた過去は、

自分の創り出した " 今 " だったのだと思う。






今日という日は、

自分が創り出してる " 今 " 。






まだやってきていない未来は、

自分が創り出すことのできる " 今 " だ。









想像のイマジネーションが創造、

未来の自分は、

今の自分のイマジネーションによって、

創り出されるもの。

自分によって創り出された " 今 " が、

ただ次々に連続しているだけ。






将来に不安を描けば、

その不安を埋めようとして、

将来のための努力をはじめる。

だけど、

未来の自分を勝手に不安にしているのも、

実は自分だったりする。

こうなったらどうしよう、

そうなったら困る、

どうなるかなんてわからず、

そうなるとも決まってないはずの未来に、

自分で不安材料ばかり集めてしまう。

そのための今日を過ごしてしまう。






「  " 今日 " がかわいそうだ 」






まだやってきていない未来は、

今日をかわいそうにしないことで、

自分好みに描けるイマジネーション!









今日のあなたは笑っていますか?






今日のあなたは愉しいですか?






今日あなたは、

自分にしあわせを感じてますか?






だとすれば、
未来の " 今 " もあなたは、
笑っていて、 愉しんでいて、
そしてきっと、
自分にしあわせを感じているはず。







遠い未来のことじゃなくて、

今日のことだけを考えながら過ごせない? 









だめかな?