千と千尋
前回のエントリの続きを書こうかと思ったが、文章がひどすぎて何を書いていたのは自分でもわからなくなった。
だめだ、深夜は。
よく分からないテンションの元で書くから、判断力が欠けている。
と言うわけで、関係ない千と千尋の話。
話というか、何か色々なブログを見ていたら、千と千尋は大衆向け的なわかってない意見を耳にしたので、ざっくりと自分の意見を述べようかと。
深夜のテンションで。
「千と千尋の神隠し」は1年くらい前に観たのが最後なので、うろ覚えである。が、あれは大衆向け映画ではまったく無かった。
金にがめつく、一体何が本当に価値のあるものなのか、を考えていない油屋の従業員やその女将の世界の中で、親の言うことを聞くだけの自立が出来ていない子供が、周りの環境に惑わされず、自ら考え、価値観を確立させるというお話だったハズだ。
純心な千尋、カオナシ、坊は、皆始めは被害者として描かれる。
千尋は、勝手に店のものを食っちゃうDQN親の行動で、強制労働させられる子供として。
カオナシは、千尋にお礼がしたいだけだったのに、油屋の世界に染められ、煽てられ、訳も分からず金をとられる客として。
坊は、湯婆の溺愛により、外の世界に出させてもらえない子供として。
ただ被害者といっても、この原因は自らにあるのだ。
つまり、周りの言うことに従うだけであり、それがどういう意味なのか、自分にとってどうなのかを考えていない事に原因があるのである。
千尋だったら、トンネル抜けるの断れば良かったし、カオナシなら、ストレートに千尋にお礼をすればよかったし、坊は愚図るのではなく反発すれば良かったのである。
何も考えず、他人の価値観に身を委ねてしまったのが不幸への始まりだったのだ。
しかし、その世界を作っている油屋の女将やその従業員も、実は自分で考えては居ない。
というのも、従業員や女将はカオナシの偽の金にまったく気づかず、うかれる。
そこに働く思考は、「如何に金が貰えるか」であって、「それは自分にとって価値があるのか」が欠如しているのだ。
ただ金を得るという考えだけだから、偽者に気づかないのだ。
大切なものは、自分にとって価値があるものである、誰かの価値の中に居てはいけないのだ。
また、金の亡者の女将に至っては、偽者の金どころか、最愛の坊が入れ替わっていた事にすら気づかない。
しかも気づいた時に、その怒りを自分にでは無く、他者にぶつける。
怒りの矛先が他者に向くと言うのは、自分に責任が無いと考えるからである。
ただの代替品である金にうかれ、何か大切なものを失っても気づかない。考えない。何かって時は自分に責任は無いと考える。
こういう思考が油屋の中に充満している。
ただこの、劣悪な環境の中から、3人の純真な子供が、それぞれ経験し、自ら考えた結果、行動し、油屋を後にする。
油屋と決別すると、そこには美しくどこまでも広い世界があることを知る。
最後は、女将が豚小屋から両親を選ばせるのだが、自分の価値観を持った千尋はその中に両親が居ないことに気づき、両親を助けることに成功する。
この豚小屋の中に両親が居ないことに気づくというのは、暗に「女将の世界には大切なものが無い」と示しているのである。
トンネルをくぐる前は他者依存だったが、様々な経験をし、考え、行動した結果、大切なものが大切だと判断できる様に成長したのである。
ビジュアル的にも賑やかで楽しく観られる大衆映画の様に思う人も居るかも知れないが、この映画はかなり、批判要素が強い。
子供達に、「ああいう大人にはなってはいけない」と伝えられているからである。
大衆向けと感じる人は、批判される側に立たされている事に気づいていないのか、単純に若いのかのどちらかであると思う。
だめだ、深夜は。
よく分からないテンションの元で書くから、判断力が欠けている。
と言うわけで、関係ない千と千尋の話。
話というか、何か色々なブログを見ていたら、千と千尋は大衆向け的なわかってない意見を耳にしたので、ざっくりと自分の意見を述べようかと。
深夜のテンションで。
「千と千尋の神隠し」は1年くらい前に観たのが最後なので、うろ覚えである。が、あれは大衆向け映画ではまったく無かった。
金にがめつく、一体何が本当に価値のあるものなのか、を考えていない油屋の従業員やその女将の世界の中で、親の言うことを聞くだけの自立が出来ていない子供が、周りの環境に惑わされず、自ら考え、価値観を確立させるというお話だったハズだ。
純心な千尋、カオナシ、坊は、皆始めは被害者として描かれる。
千尋は、勝手に店のものを食っちゃうDQN親の行動で、強制労働させられる子供として。
カオナシは、千尋にお礼がしたいだけだったのに、油屋の世界に染められ、煽てられ、訳も分からず金をとられる客として。
坊は、湯婆の溺愛により、外の世界に出させてもらえない子供として。
ただ被害者といっても、この原因は自らにあるのだ。
つまり、周りの言うことに従うだけであり、それがどういう意味なのか、自分にとってどうなのかを考えていない事に原因があるのである。
千尋だったら、トンネル抜けるの断れば良かったし、カオナシなら、ストレートに千尋にお礼をすればよかったし、坊は愚図るのではなく反発すれば良かったのである。
何も考えず、他人の価値観に身を委ねてしまったのが不幸への始まりだったのだ。
しかし、その世界を作っている油屋の女将やその従業員も、実は自分で考えては居ない。
というのも、従業員や女将はカオナシの偽の金にまったく気づかず、うかれる。
そこに働く思考は、「如何に金が貰えるか」であって、「それは自分にとって価値があるのか」が欠如しているのだ。
ただ金を得るという考えだけだから、偽者に気づかないのだ。
大切なものは、自分にとって価値があるものである、誰かの価値の中に居てはいけないのだ。
また、金の亡者の女将に至っては、偽者の金どころか、最愛の坊が入れ替わっていた事にすら気づかない。
しかも気づいた時に、その怒りを自分にでは無く、他者にぶつける。
怒りの矛先が他者に向くと言うのは、自分に責任が無いと考えるからである。
ただの代替品である金にうかれ、何か大切なものを失っても気づかない。考えない。何かって時は自分に責任は無いと考える。
こういう思考が油屋の中に充満している。
ただこの、劣悪な環境の中から、3人の純真な子供が、それぞれ経験し、自ら考えた結果、行動し、油屋を後にする。
油屋と決別すると、そこには美しくどこまでも広い世界があることを知る。
最後は、女将が豚小屋から両親を選ばせるのだが、自分の価値観を持った千尋はその中に両親が居ないことに気づき、両親を助けることに成功する。
この豚小屋の中に両親が居ないことに気づくというのは、暗に「女将の世界には大切なものが無い」と示しているのである。
トンネルをくぐる前は他者依存だったが、様々な経験をし、考え、行動した結果、大切なものが大切だと判断できる様に成長したのである。
ビジュアル的にも賑やかで楽しく観られる大衆映画の様に思う人も居るかも知れないが、この映画はかなり、批判要素が強い。
子供達に、「ああいう大人にはなってはいけない」と伝えられているからである。
大衆向けと感じる人は、批判される側に立たされている事に気づいていないのか、単純に若いのかのどちらかであると思う。
ストライクウィッチーズ2期の時期決定と1期BD化決定
公式発表から、一週間遅れてしまった・・・。
この作品はここ2年間のテレビ放映アニメの中で一番面白かったものであったと思う。
ここでいう面白いとは、単にストーリーが面白いという意味だけでなく、その放映にあたっての周りの一体感のことをも意味する。
そもそも、〈パンツじゃないから恥ずかしくないもん!〉を標語にしたストライクウィッチーズというアニメは、放映前の2chのアニメ評価からは、典型的な萌え(媚売りに近い)アニメと評され最低ランクであった。
しかし、放映され始めると、評価は一転し緻密な設定や王道でありながら惹き込まれるストーリー、作画の良さなどが評価され、最終的にはamazonのDVDのアニメ販売ランクで同期1位を獲得するまでとなった。
また、特筆すべき点はなんと言っても7話であり、多数の動画投稿サイトにユーザーから投稿された結果、見切り組や未視聴組に「再視聴効果」が発生した(したと思う、またこれを書いている私も再視聴組)。
動画投稿サイトをうまく使った宣伝となった。
この一体感が最近のアニメに無いものである。
商業メインの作品は基本的に、単発話・エロ、萌え要素がメインであり、ストーリーや設定は要らないものとして現状扱われている。
最終話に突然主人公が強くなったり、真の敵が現れ倒し一応の決着が望めたり、敵が自戒を始めたり、戦争屋が現れたと思ったら笛吹いて何事も無く終わったり、最強の敵なのに主人公のパンチ一発でKOできたり、突然の説得をしたら解決したり、敵がパワーアップしたら自滅したり、今までの流れぶち壊して全員復活したり、するタイプは大体がこれである。
引っ張って引っ張って、結局何も無いのである、そこにあるのは作品への愛情ではなく、視聴率やフィギアなどの関連商品の利益のみである。
あくまで放映側に立ったアニメなのである。
しかし、常にここでは視聴者と放映側が対立してしまい、放映側からの「視聴者が求めているエロ」と「実際の視聴者の考えていたエロ」の違いなどから、「何であそこで○○は××しないんだ」といった文句が出てしまい、作品は観るものでは無く、視聴者が求めるものを提供するものとして扱われてしまうのだ。
要するに媚売りアニメとなる。
一方、ストライクウィッチーズは単発話は少なく、エロ、萌え要素は終始あるが、あくまでストーリーや設定が重視されている。作品の面白さが常に中心におかれていたのである。
結果、商業メインで中身をないがしろにした作品よりも、商業的に成功するという、逆説が発生し、間違った理論の元で構成されていたアニメを観させられていた視聴者に対しても、「昨今流行のものは商業的にも間違っていた、もはや継続する理由が無い。」というメッセージを送り、アニメに対する失望感から開放したのである。
あくまで視聴者側に立ったアニメなのである。
視聴者側に立ったといっても、ちゃんとした作品を提供するという意味である。
なんか何かいているかわからなくなった、後で編集しよう。
この作品はここ2年間のテレビ放映アニメの中で一番面白かったものであったと思う。
ここでいう面白いとは、単にストーリーが面白いという意味だけでなく、その放映にあたっての周りの一体感のことをも意味する。
そもそも、〈パンツじゃないから恥ずかしくないもん!〉を標語にしたストライクウィッチーズというアニメは、放映前の2chのアニメ評価からは、典型的な萌え(媚売りに近い)アニメと評され最低ランクであった。
しかし、放映され始めると、評価は一転し緻密な設定や王道でありながら惹き込まれるストーリー、作画の良さなどが評価され、最終的にはamazonのDVDのアニメ販売ランクで同期1位を獲得するまでとなった。
また、特筆すべき点はなんと言っても7話であり、多数の動画投稿サイトにユーザーから投稿された結果、見切り組や未視聴組に「再視聴効果」が発生した(したと思う、またこれを書いている私も再視聴組)。
動画投稿サイトをうまく使った宣伝となった。
この一体感が最近のアニメに無いものである。
商業メインの作品は基本的に、単発話・エロ、萌え要素がメインであり、ストーリーや設定は要らないものとして現状扱われている。
最終話に突然主人公が強くなったり、真の敵が現れ倒し一応の決着が望めたり、敵が自戒を始めたり、戦争屋が現れたと思ったら笛吹いて何事も無く終わったり、最強の敵なのに主人公のパンチ一発でKOできたり、突然の説得をしたら解決したり、敵がパワーアップしたら自滅したり、今までの流れぶち壊して全員復活したり、するタイプは大体がこれである。
引っ張って引っ張って、結局何も無いのである、そこにあるのは作品への愛情ではなく、視聴率やフィギアなどの関連商品の利益のみである。
あくまで放映側に立ったアニメなのである。
しかし、常にここでは視聴者と放映側が対立してしまい、放映側からの「視聴者が求めているエロ」と「実際の視聴者の考えていたエロ」の違いなどから、「何であそこで○○は××しないんだ」といった文句が出てしまい、作品は観るものでは無く、視聴者が求めるものを提供するものとして扱われてしまうのだ。
要するに媚売りアニメとなる。
一方、ストライクウィッチーズは単発話は少なく、エロ、萌え要素は終始あるが、あくまでストーリーや設定が重視されている。作品の面白さが常に中心におかれていたのである。
結果、商業メインで中身をないがしろにした作品よりも、商業的に成功するという、逆説が発生し、間違った理論の元で構成されていたアニメを観させられていた視聴者に対しても、「昨今流行のものは商業的にも間違っていた、もはや継続する理由が無い。」というメッセージを送り、アニメに対する失望感から開放したのである。
あくまで視聴者側に立ったアニメなのである。
視聴者側に立ったといっても、ちゃんとした作品を提供するという意味である。
なんか何かいているかわからなくなった、後で編集しよう。
国家の品格読んでみた
ここ数週間、異常な金欠に見舞われて、何も買えない=できない状態が続き、まぁといっても神懸かり的な忍耐力を持っているので無問題と考えていたのですが、ふと気がつくと、漫画と新書が机の上に置いてあり、慌てて財布の中を見てみると、お札とブックキングのレシートが、案の定、摩り替わっていました。
怖いですね、最近の泥棒は。
まぁ、「せっかくだから俺はこの本を読むぜ」という事で読んでみたのがタイトルにある様に、『国家の品格』という本。
ちなみに私は、ほとんど読書経験が無いダメな方の人なので、あしからず。
内容は、終始過激な事を言ってる印象と論理飛躍してね?感が強いですが、武士道精神、情緒、美といった、論理では余分とされていた精神の大切さを訴えているもので、時節に合ったものだと思いました。
最近どんどん殺伐度が増してきたからね。日本は。
ただこの精神というのはすごく難しいもので、いわゆる機微に対する敏感さといいますか、なんだかんだで注意力と経験で積み上げていくしか無いんじゃないかなぁと思ったり。
言われてできるものでも無い気が・・・。
あっそうそう、この本の著者は凄い個性の強い人感がします。
怖いですね、最近の泥棒は。
まぁ、「せっかくだから俺はこの本を読むぜ」という事で読んでみたのがタイトルにある様に、『国家の品格』という本。
ちなみに私は、ほとんど読書経験が無いダメな方の人なので、あしからず。
内容は、終始過激な事を言ってる印象と論理飛躍してね?感が強いですが、武士道精神、情緒、美といった、論理では余分とされていた精神の大切さを訴えているもので、時節に合ったものだと思いました。
最近どんどん殺伐度が増してきたからね。日本は。
ただこの精神というのはすごく難しいもので、いわゆる機微に対する敏感さといいますか、なんだかんだで注意力と経験で積み上げていくしか無いんじゃないかなぁと思ったり。
言われてできるものでも無い気が・・・。
あっそうそう、この本の著者は凄い個性の強い人感がします。
