JOKER


第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したことで話題になりました。監督は『ハングオーバー』のトッド・フィリップス!(振り幅凄くない?)
主演、ホアキン・フェニックスのなんとも言えない目が印象的なポスター。
じゃ、まずジョーカーについて軽くおさらいを。
2個目の❇︎後にはネタバレ有り〼


ジョーカーはアメコミのビックタイトルの一つ『バットマン』(DCコミック)に登場するヴィラン(悪役)です。
数多くいる同シリーズのヴィランの中でもバットマンの宿敵として愛されてきました。なんせ単独映画ができるくらいですからね......
❇︎(下の❇︎まではジョーカーの感想とはあまり関係がないので読み飛ばしちゃってOKです)
メディアミックスにおいても結構な大御所がその役を務めています。ティム・バートン版においては名優ジャック・ニコルソン、ノーラン版では故ヒース・レジャー。DCコミックのヴィランを集めたヒーローチーム(何いってっかわからない方は『ワイルド7』みたいな物だと思って下さい。古いか?)が主役の映画『スーサイドスクワット』ではストイックを通り越した俳優ジャレット・レトが演じていました。アニメではなんとマーク・ハミル(スターウォーズのルーク)が声を当てています。(一番古い実写ジョーカーはおそらくTVドラマ版と『怪鳥人間バットマン』のシーザー・ロメロ。出演作は不勉強で、わかりやすいのは見つけられず......)
現在のアメコミブームの切っ掛けの一つであり、「リアル・シリアス路線」のアメコミ映画の火付けでもある『ダークナイト』シリーズ(クリストファー・ノーラン監督)でのジョーカーは衝撃的でした。(二作目のタイトルがシリーズ名になってるのも凄いよね......まあダークナイトは前からバットマンのあだ名ではあったみたいだけど)コミックやジャック・ニコルソンの映画で語られてきたジョーカーのオリジン「バットマンに追い詰められたチンピラが工場の廃液タンクに飛び込み生き延びるも漂白された自分の肌や傷ついた顔に発狂」ではなく、雑な白塗りメイクをしている、ビシッとしたスーツではなくヨレヨレ、目の周りの隈取りなど異質さを強調したジョーカー像となっています。レト版ジョーカーは『スーサイド〜』をみてないのでなんとも言えませんが、特報かなんかでハーレクインとタンクに飛び込んでたので、多分廃液で肌が白くなった派。
ホアキン・フェニックスはサンドウィッチマンとして働く道化師でしたね。メイク派。
アメコミ(ここではヒーロー物を指すこととします。でもスーパーヒーロー物以外のアメコミってあるのか?)の不思議なところに書き手が定まらないところがあります。キャラクターを作った人は存在しますが、絵を書く人だけではなくストーリーを作る人も作品ごとに変わったりすることが珍しくはないようです。アメコミに詳しくないので、詳しい人に教えて欲しい......
具体的には「アース」や「リランチ」なんて言葉がアメコミではよく使われるようですね。「アース」というのは世界線のことで並行世界(平行世界)のような物です。こうして異なる作者の作品での設定を、「同じキャラクターだけど、違う世界の人だから」ということでまとめ上げているんですね。自由度が段違いになりそう。「リランチ」はシリーズのアースを変更して始めることのようです。論争とか起きないのかな......まあアレですね。日本だと『ルパン三世』とかが近いんですかね。
こんな複雑な(作者が基本的に一人のmangaに慣れた私たちからすれば複雑な)事情からか、キャラクターのコンテンツ化はしやすいようです。かつて日本でもポルノ映画に様々な要素が盛り込まれたように、アメコミやその実写映画という皮をかぶった(というと聞こえが悪いが)、ハコとして多様な作品が生み出されているようです。
❇︎


だいぶ脱線しました。

映画に話を戻します。
観にいく前はジョーカーが貧困に喘ぐ人々の神(カリスマ)になる、『アマデウス』的作品になるのかなあとか思ったり。
罪を赦したもう凡人たちの神、サリエリ先生の図


・アーサーは善良か?
全米公開とともに子供に見せないことが推奨され、暴動が起きないよう映画館に警官隊が派遣されるなどショッキングな情報もつたわってきましたが、案外そんなニュースが日本でのヒットを後押ししたのかも。
踏んだり蹴ったりの目に遭いながら狂気に陥るアーサーの姿は話としてはわかりやすく、展開に驚きはないかも。そこが嫌って人もいるみたい。それが共感できるという人と状況を単純化してしまっていると感じる人と......どちらにせよ善良な人が環境や社会のせいで悪に染まるという見方では一致してました。はたしてそうでしょうか?

アーサーは「善良」な人物でしょうか。

善良の意味の捉え方にもよるでしょうが性格を表すものとするならば、アーサーは「性質が正直で温順な」人物とは思えません。彼は精神的に不安定で複数の投薬を受けており、妄想癖があることが序盤から明かされます。映画という、人の視覚を部分的にジャックするメディアであることも相まって妄想シーンはかなりドラマティックでした。
では彼が病気のせいで急に笑い出したり、薬を常用していたり、不安定な生活をして妄想に浸ることは悪いこと、罪でしょうか?
そうではないはずです。
彼は少しおかしな「ありふれた人」でしょう。
(宣伝のためとはいえ人の多い通りで木製の看板を振り回したり、護身用に拳銃を持ち歩いたりなど色々危険なことをしながらも......)

こんなところが「ジョーカーは俺だ」や「誰もがジョーカーになりうる」といった感想に繋がっているのでしょう。
アーサーに共感できるところもありましたが、心ない人々の行動にも身につまされるところが多かったです。この映画は世の中のアーサー達に蜂起を呼びかけるものというよりも、アーサーを知らず知らずに追い詰めていく人達へのメッセージの様な気がします。

しかし少年たちが意味もなくアーサーをリンチしなければ、同僚が拳銃を渡さなければ、上司が彼を解雇しなければ、エリートサラリーマンが絡んでこなければ、彼はジョーカーにならなかったのでしょうか?
私はそうは思いません。引き金は別のところにあるはずです。

・無敵の人
簡単に言うと「何も失うものがない(ので犯罪を犯すことやそれに他人を巻き込むことに躊躇の無い)人」というような意味合いの言葉ですが、無差別殺人などの頻繁化に合わせて認知されてきました。
特殊能力のないヴィランであるジョーカーの武器としてあげられるのは「狂気」です。この狂気は常軌を逸した行動として現れ、バットマンを苦しめます。その中には自らの命を顧みない、というものも確かに含まれます。


ギャングの巣窟から逃げ出す際に手榴弾をちらつかせるジョーカー(の再現フィギュア)。ヒース・レジャーの演技がクソむかつくのでぜひ観て......


しかしジョーカーの行動には「やけくそ感」や「投げやりさ」がありません。
ギュングたちが彼にされるがままだったのはジョーカーが「追い詰められていて、自爆するのも良いと思ってるかもしれない」ではなくて「こいつは何をしでかすか分からないから自爆ぐらいするかもしれない」という恐怖からでしょう。
つまりジョーカー像としてこれまであったのは何をするか予想のつかない「狂気の人」なんじゃないでしょうか。

さてアーサーは無敵の人でしょうか。作中では父親だと信じた人に突き放され、またそのこと自体がまやかしでたった一人の肉親も信じることのできない人だとわかってしまいます。さらには心の支えだった良い雰囲気の隣人との思い出も全て妄想であったことがあわせて描かれます。カウンセリング時のアーサーの発言、「おかしいのは俺か社会か」でいうとおかしかったのは俺(アーサー)だったわけです。引き金はここじゃないでしょうか。
しかし社会は彼を肯定します。自らを虚仮にした番組を滅茶苦茶にし、憧れだった司会者のドタマをぶち抜いたアーサーを英雄として祭り上げるのです。
アーサーは無敵の人というよりも「自分は狂っている、しかしそれを社会は受け入れてくれた」ということが「わかってしまった人」ということになります。そうして彼はジョーカーになるのです。

だからこそ「社会とズレてなかったら、なれたはずの自分」であるスター司会者マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の殺害が描かれたのかもしれません。もう必要ないのだから。



ドロヘドロ的にいうと......

言いたかった事
①アーサーは心優しい人というより少しズレた普通の人なのでは?
②狂っちゃったというより自分が狂ってるという事がわかっちゃった人なのでは?
赤いスーツとメイクが良いね。ホアキン・フェニックス







観た映画を思い出したり、確認したい時はこちらのサイトがオススメ↓
ネタバレ込みの粗筋が見られる記事やネタバレなしでの感想や口コミなどが纏められた記事など幅広くあるようです
『ジョーカー』の記事もありますよ!







アメコミを知ったのは主に友人からとこの方のブログから↓
marvel作品に強い......このブログだけで、読んでもないのにデットプール好きになりました。

あとこの方↓
DC作品にも明るく、キャラ紹介も多くて読みやすい......




良きアメコミ映画ライフを!