年(度)末なので部屋の片付けが進行中。私の部屋は恥ずかしながら滅茶苦茶に汚い。

昔、

「エントロピー増大の法則に従って部屋は汚れていくのだ。それ即ち宇宙の法!」

と友人がぶち上げていたが、ご多分(?)に漏れず、私の部屋でも水際でのせめぎ合いが続いている。

部屋が汚くなる理由は、各個人各家庭お国柄色々あると思う。私の場合は分かりきったもので、部屋に2つある本棚がそれだ。

特に本が多いというわけでもないのだが、部屋が本で溢れている。

これは本の性質の為だろう。その所為にしてしまいたい。

本が勝手に増えることは数多くの人が既に指摘しているが、勝手に出歩くことはあまり知られていない。

本は平積みにすることで爆発的な増殖力を見せる。

 この事は本の移動と無関係ではないはずだ。
平積みは底面積的に本棚に適さない事から、部屋を侵食していくのだが、

①夜中
②ながら読み
③寝落ち

などの条件が整うと発生しやすい傾向にある。その他、水分をこぼすと2倍になることも稀にある(買い直し)。

そんなわけで机、床、ベッド、椅子などの各ポイントで本が成長していく事となる。文字通りの積ん読が観測されるわけだ。

因みに本棚がある程度埋まってしまっていることも平積み放置につながっている為、買ってすぐの本や読んでる最中の本は平積みになりやすい。
つまり意味的にも積ん読に相応しいのである。(喜ばしいことではないのだが)

従って彼ら(積ん読)は極めて流動的な存在でもある。
私は自分の行動を逐一覚えていられるほどしっかりと渡世していないので、勝手に出歩く本どもが誕生する運びとなるわけだ。

ここまでくると、友人のトチ狂った発言が正しいことのように思えてくる。
本棚に死蔵された本を固体と捉えるならば、流体的な積ん読は増大してしかるべきなのだ。

積み上がった本を別の場所に積み直しながら、こんまりさんの言葉をふと思い出す。

片付けのプロである彼女は、本の本質は情報であるのだから、情報を読み取った後の物質としての「本」は捨てるだか売るだかすると良い、というようなことを(大意で)言っていたように記憶している。

イチローがカレーばっか食べたり、ジョブズがおんなじ服着たりするのと一緒なのかな。

本に囲まれてるという事は文字情報に囲まれているという事であり、視覚に負担がかかるのかも。

 twitterではたまにこのこんまりさんの発言が引き合いに出され、紙の本や積ん読の効用が述べられていた。

もしかするとその中にもあった意見かもしれないが、私だったら本に載っている情報を覚えられないだろうなあと思う。
一番好きな本(『星の王子さま』)の一番好きな台詞すらおぼろげなおつむだ。信用できない。

「ああ、あの時あの本で読んだあの文はどんなだったかな」
「ああこの本じゃなかった」なーんて。

よくあることだ。

知りたくなって、探す。
見つからなくって、部屋中ひっくり返す。

こうして本棚と積ん読が段階的に入れ替わり立ち替わり混ざり合っていくのだ。

「蔵書、読書は心を耕すことだ」と、誰かも言っていた気がする。まさに鋤で土を混ぜっかえすようだ。
象徴的だなあ。誰だったっけ気になってきたな。もうめんどくさいから自分で言ったことにするか。
そういえば、この本の山を移し替える作業って部屋の片付けにはなってなくない?
なんだっけ、アレみたい。賽の河原。鬼きたらヤだな。崩されるし。ギズモみてーなカワイー奴が良いな。

ちゃんとお世話するから!


そんな事を考えながら、お掃除してる今日この頃。

(注:エントロピーが増大し、積ん読が乱立する部屋のイメージ画像)