私は元ヤングケアラーですが、今では友人に話すと驚かれることが多い。
全くそお見えないと言われます。
確かに、今ではその当時の話をしても笑えるほど落ち着いていられるようになりました。
そんな経験をしたのは誰だったのかと思うほど遠い出来事になっています。
今振り返るとそおなったのには、2つのターニングポイントがあったなと感じます。
まず最初は、一番苦しかった小学生のころ
ヤングケアラーなんて言葉は当然なく、自分だけが地獄の中にいるような孤独の中にいた。
分かってもらおうとすら思わず、ただただみんなと違う環境を恨んだ。
そんな暗黒な私に声をかけてきた友人がいた。
給食が食べれなくて学校が一番つらいと感じていたころ、帰りの会が終わって、ランドセルに教科書とかしまっていたら、クラスの中でも元気でめだつ女の子が一人で、私に今日遊ばない?と声をかけてきた。
びっくりしたけど、嬉しかった。うんと即答した。
そのあと、もう一人を誘って3人で公民館に行ってオセロとかして遊んだ。
すごく楽しくてすぐに3人仲良くなって二人のどっちかのお家で毎日遊ぶようになった。
それが本当にありがたかった。
当然、2人はヤングケアラーな私のことはよくわかってなかったと思うが、みんないろいろあるよねってスタンスで私を受け入れてくれた。
遊んでいるときは私も母のことは話さずにひたすら普通の小学生として遊んだ。
家事はしていたけど、飛び出してしまうようなハイな状態の時でなければ、母はずっと寝ていたので、夕方までの1,2時間私は遊びに行くことができた。
二人はちゃんと世話をしてくれるお母さんがいてうらやましいなとかは思ったが、一緒にいてつらくなかった。
あのとき世界は楽しいこともあるって二人に教わった。私が今あるのはこの二人のおかげだ。
普通のあたたかい世界を二人に教わった。
今、友人にあの頃のことを聞いてみると、そうだったっけ?なんか気になってて声かけたかったんだと思うよと言っていた。何気なく人を救ってる友人は神だわって改めて感謝した。
家と学校の往復だけだったら、私は世の中のことは何もわからず、そして人を信用しない人間になっていたと思う。
今でもこの二人と会っている。
たくさん感謝を伝えてきたが、まだまだ伝えたりない。
この二人に出会えた私は運がよかったと思う。
ヤングケアラーとか、なんかたいへんそうだって子を腫れ物に触るように接しないでほしい。
普通にみんなと同じように遊んでもらったことが本当に嬉しかった。それが私を悪い方向に行かせなかったような気がしている。
次は21歳になって家を出たこと
10代後半はもう家が嫌で嫌で仕方がなかった。
私はどんどん外に行きたくなり、短大での勉強や実習、友人との遊び、バイトや彼氏とのデートなどでどんどん忙しくなり、実家の家事や母の心配事が疎ましくなっていった。
そして、就職して社会人になったら、さらに新しい環境に慣れることや、覚えることでストレスが増えた。
早出もあって、家を暗いうちから出て、夜遅く家に帰ってきた時に、散らかった汚れた部屋やうつろな母を見たり、ハイな状態で妄想話を聞かされるのは苦痛だった。実家は私の休まるところではなく、まだまだ私が気をはるところだった。
くたくただった。当時は父がいたので、私は思い切って家を出ることにした。
私がいなくなったら、どうなるのか、心配だった。
洗濯や掃除は誰がやるのか?私は誰にも聞かなかった。
ただ、家を出ることにしたと父に伝え、会社の近くのアパートに引っ越した。
最初は反対していた父も引っ越し当日は手伝ってくれて、軽トラをどこからかかりてきてくれて、母を助手席にのせて、家電の買い物から付き合ってくれてアパートまで荷物を運んでくれた。私は罪悪感でいっぱいになりながら、トラックの荷台の洗濯機の横に丸くなって泣くのをこらえて座っていた。逃げ出してごめん。二人の手伝いができなくてごめん。心の中でずっと謝った。
でもそんな罪悪感の中、お風呂もない古いアパート(安月給だったからそれが精一杯だった。でも近くにきれいな銭湯があって毎日ヒノキ風呂に入れて幸せでした)だったけど、自分の力で手に入れたこの空間に心から喜びを感じた。もう実家のことは忘れよう。そお思った。
でも母からは毎日留守電に20件くらいの電話があった。
聞いてみるとわけのわからない話だったり、ただのため息だったりしてまたイライラした。
ひどい時は職場にもかかってきた。
そのたびに、苦しくなって、具合が悪くなった。
実家を出て解放感を得る一方で、出たことによる罪悪感と自責の念でたくさん苦しんだ。
そのまま5年間は実家から逃げ続けた。
でもこの5年間があって本当に良かったと思う。
実家から離れたことで、やっと自分のことに専念できて、私は削り取られる一方だったエネルギーを蓄えることが出きた。
そしてその蓄えたエネルギーでやっと自分を見つめることができた。
強すぎる自責の傾向や自信がないことに気づいたり、なんでそおなったのか、自分を見直す時間が取れた。
実家が嫌いでもいいんだとわかった時は目からうろこが落ちた。
そして、母にしてしまったことよりも頑張ってきた自分を心からほめようと思えた。
実家に対する強い拒絶反応も少しづつ和らいでいった。
そして、だんだんとまた母のこと、実家のことが気になってきて、手伝いたくなってきた。
そのころ、アルバイトでフェイシャルエステを習ったので、たまに実家に帰って母にやってあげるようになっていった。
私がいなくなってから、家の中は少し散らかっていたり、お風呂やトイレの水回りはひどく汚れていたけど、父が最低限のことをやっていたようで思ったよりも大丈夫だった。
この頃から、週末に実家に通うようになり、5年前は苦しかった実家の家事が楽しくできるようになっていた。
子育てで行きづまった時もそうだけど、いっぱいいっぱいになったら、まずそこから離れてみるって本当に大事だと思う。
とくに世話をする本人が頭も体も元気じゃなきゃどんどん負のスパイラルにはまってしまう。だからまずは自分を優先することが一番だと思う。
だから、あの5年間はとても大きかった。
たった5年だけど、お風呂なしアパートにたくさんの友人が来てくれて、しばらく居候してくれた友人もいたし、同棲した彼氏もいた。たくさん旅行もいったし、ジムやエステにも通った。バイクの免許もとったし、自己啓発セミナーにも参加した。本当に大事な大事な経験をした有意義な5年間だった。
そのあと、父が急逝してまた大変なことになっていったんだけど、その大変なことを乗り越えられたのも、このパワーチャージしたのが大いに役立っている。
なにか大変なことを抱えている人ほど、しっかり休んで自分の時間を取ることが大事。
あんなに罪悪感を感じてたけど、感じる必要は全くなかった。
無意識に正しい行動をとってたんだって私すごいじゃんって今は思っている。
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