すごろく人生 | 「何時か見た青い空」 フィリピンへの誘い

「何時か見た青い空」 フィリピンへの誘い

青い空と青い海に囲まれて、今なお残るスペイン統治の面影。この国に旅してみたい、住んでみたいという方の参考になればと思います

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時々、人生は双六のようなものだと思うことがある。

サイコロの出目で人生が大きく変わる。
 
先日の「『癒しの日曜日』-誠実」で、シンガポールで20年働いていたフィリピン人メイドが、雇主が亡くなり4億円近い遺産と高級コンドミニアムを手にしたと書いた。
彼女などはその典型だろう。
 
自分の回りでも色々なケースがある。
 
近所の女:
近所に中年のフィリピン人女性が暮らしている。
彼女も長いこと香港でメイドとして働いていたという。
手広くクリーニング屋を営んでいる。
でも、いくら長いこと香港で働いていたといっても、メイドでそんなに蓄えが出来るのだろうか?
噂では、香港で働いている時にロト(宝くじの一種)に当たったという。
 
知り合いの介護士候補:
セブに住む友人(当時21歳)は介護士の資格を得て、カナダ行きの許可が下りるまでの間、病院で介護士のアルバイトをしていた。
癌が見つかった日本人退職者が入院して来て、献身的に世話をしたそうだ。
彼に求婚されて結婚したが、数カ月後に彼は亡くなってしまった。
かなりの遺産と遺族年金を受け取ることになった。
カナダ行きは取りやめて、今では実家のそばで、ご主人が完成を見ることなく終わった立派な新築の家で暮らしている。
 
日本に住むフィリピーナ:
東京で働いていたフィリピーナが、年齢が父親以上に離れた老いた日本人と結婚した。
ほどなくして、その旦那が病死した。
駅前のビルを相続することとなった。 駅前といっても、地方の駅ではなく、れっきとした都内のJRの駅である。
元々、先祖から受け継いだ土地だったので、旦那の姉妹などは、出て行けと猛烈に反対したらしいが、彼女は居座ってしまった。
 
 
人生、どうなるか分からないものである。
 
好いことばかりとは限らない。
何度も何度も日本へ出かけて「ベテラン」と呼ばれていたフィリピーナは、フィリピンの彼氏が麻薬常習者だったので、何度日本へ行っても、依然としてバラックのようなスクォター(違法占拠住宅)暮らしだった。
 
日本人の彼氏が出来て、トンドの貧民街から抜け出し、そこそこの家へ家族全員で引っ越して喜んでいたマッサージ師もいたが、気まぐれなその日本人からの送金が途絶えて、再び、路頭に迷うというケースもあった。
 
日本から頻繁に訪れていたヤXザと親しくなり、子供をはらまされたしまった子もいた。
その後、彼から音沙汰は無い。
 
 
双六人生とは書いたが、ちゃんと真面目に一生懸命努力した人だけが、それなりにサイコロを振る権利があるのかもしれない。
 
適当な生き方をしたり、間違ったパートナーを選んだりしていたのではサイコロを振る機会も無いのだろう。
 
もっとも、同じメイドとして働いていても、我が家で滅私奉公していのでは福は舞い込んでこない。