LAGUNA BUTTERFLY 戦闘中行方不明

LAGUNA BUTTERFLY 戦闘中行方不明

道を踏み外しながらも頑張ってます.

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今日は誕生日だ
誕生日にいわれない人や想いのない人からの「おめでとう」がおかしくて苦手だ


特別な時間なんて、その都度返って来ない過ぎ去る瞬間を生きている事を考える。
すると、いつも特別なのかもしれないハッピー野郎と言う危ない奴だと思う。
でも毎時そんな事考えてると疲れるので、考えていないが。
今日は
何もする事がないのに何故か朝からソワソワして、昼過ぎまで本を読んでみたが身に入らず
昼過ぎ鍵も忘れて
山に登ろうとする
その前に継母の墓参りに行く。

幼少期病弱だった僕は
相当甘やかされ
高校生まで気になる事は何もなかった
感動する場面を言えない
友達がいる様で孤独感があり
見栄があり
虚栄心もあった
親が喜ぶだろう大学に入ったものの
大学は研究するとこであり
勉強するところではない事に気づいて
放浪を繰り返して2年で退学する

そうこうして
少しは学んでフォトグラファーになり
今に至るまで、様々な事が自身を転ばせ
又助けた。その目に見えない事は誰にもわからないけど自分には良くわかる。

そう言う事を大切にするってどう言うことか。


実母は

食材や料理が好きで健康意識が強く確かに強い。

父の仕事や言い方などに振り回され、見栄があり正義感がある様に見えるが何に努力しているのかがわからない人。という風に見えていた。



自営業者だった父は


自分のため家族のために良く働いていた


しかし軽薄で研究不足でお金に振り回された


家族にも他人にも興味が湧かないのか
本気で笑ったところを見た記憶が無い

どちらも言える事は
人は良いが
本気で対話した事がない
不安を本気で解決する話しや行動を学べない。

と言う事だった


しょーもない

伸びしろしかない

僕の反省と半生


20代は自分探しの旅であり

30代は自分との葛藤であり

40代で学んでみたと言う感じで

常に言葉に出来ない寂しさがあった



一般的と比較して

30年遅れであるが


とても良い人生だったと思う

具体的に言うと

人を頼って

人にお願いして
人に教えられ
人に馬鹿にされた

全てが人様のお陰で成り立っている

と言う事だ


全てにおいて損も得も特別な日も悲惨な日も無い。と言う事だ


眼前の現象に対して知識と経験で解決出来なければ人にお願いしてみる。そこで馬鹿にされたとしても褒められたとしても、それは自分の為であり自分が成長し生きていける様にするための材料だって事に気付けたのか?と墓石の前で色々思い出して泣いて。山登りして泣いて。


良いのか悪いのかわからない誕生日だった

仕事が問題な事が続いているが

世の中はなんでもある

何に挑戦してやろうかと

やはり出来ない事が出来る様になる時が一番楽しい時間だって事に僕の中ではなっているので、相変わらず親不孝で馬鹿な人間であるのか。と残すところわずかになった時間に目的を持たせたい


それは

小さい子供が感動する大人の生き様と言うコミュニティをつくろう。といった具合だ



僕が感じた不安や寂しさ。不平等や劣等感。いじめや暴力。あまり言えない事まで。幼少期から刷り込まれた負の脚本を書き換えるコミュニティをつくって


子供から大人まで本気で笑える自立した人を育てようと考えたらワクワクした


「どうせ私はダメ」自滅脚本

「あやまれ!」攻撃脚本

「私悪くないし」責任逃避か回避か

「私残業したし」競争意識脚本

「あなたのために言ってる」他人支配脚本

「私は忘れないから!」復讐心脚本

「なんで返事くれないの?」依存性脚本


などなど

本当の自立とは

これらから学ぶべきだ、と

僕の人生は教えてくれた


これらは人様から学んだ事でもあり

自分もやった事でもある


グローバルが叫ばれてある程度時間が経った今

ZRT(じりつ)を学ぶ事が

本当のグローバルだと言う人もチラホラ居る


お金をかけるのであれば

物質でなく

内面になる事が容易に創造出来る


人を動かすとか言ってる若い経営者を見かけるが

人に苦労してる現状があるとしたら

それは先ず差し上げる事を学んだ方がいい

笑顔や言葉など

お金や物じゃないほうがいいのだが

先ず人にあげる事から始める訓練をした経験がほしい所。


継母は親兄弟子供財産はまるで無かった。

けれども人と比べず、自身亡き後の僕がどの様に生きていくべきなのかを創造して、言葉や姿を残して死んでいった。

本当の師とは親とは

生き様を教えてくれる人の事だ

 

生まれ育っていく過程で得る情報は

知識✖︎行動🟰生き様

である事を学んだからには


それを教えていくしかない



楽しい世の中から

楽しむ世の中に出来るかもしれない