以前から知っているだけで学んではいなかった
A course in miracles[奇跡講座・奇跡のコース]
2023年1月から、本格的に1日レッスンのワークブックを取り組み始めました。
確かに心の平安に近づいている手応えがある
これが、今の正直な感想です。
2022年、私生活で取り返しのつかないと思われるような
かなり重大な問題が起こりました。
それまで、引き寄せの法則を学び、願望実現に向けて良い気分でいることを実践したにもか
かわらず、です。
一生分の罪悪感・敗北感・絶望感・孤独感・怒り・殺意まで・・・
これでもかというほど
ありとあらゆる負の感情を味わい尽くしました
2月、
ワークブックを初めて2ヶ月目
なぜかぱったりと、まる1ヶ月、ワークを中断してしまいました。
コースの核心に迫る部分に触れたとき
衝撃で
受け入れられなくて
吐き気や頭痛がするほどでした。
そのような身体症状も
ワークブックの突然の中断も
エゴがものすごく抵抗していたのだ
ということが、今となってはわかります
ゲイリー・レナードの『神の使者』
ワプニック博士の解説書
香咲弥須子さんの講座・東京セミナー
佐川奈津子さんのオンラインサロン…
1ヶ月間のワークブック中断後は
1日もコースから離れずに毎日過ごしました。
今は確信しています。
コースは、真理だ。
※コースだけが唯一の真理という意味ではありません。
異なる形ではあるけど、一つの真理という山の頂上へ辿り着く登山ルートは他にもある
私にとってそう思えたものは、コースだったということ
自分の人生にこれ以上、手の尽くしようがない
別の方法を探さないといけない
そう思って学んできた。
「自分が見ている世界は、自分が作りあげた」
これがどういう意味か、最初は言葉自体のインパクトが強くて
中身が理解できなかった。
今では、理解できる。
分離を選んだのは、自分なんだ
目の前にいる人に対して抱く怒り・殺意は
自分が神に対して分離するという選択によって、神を攻撃した
結果、背をわざるを得なくなった罪悪感を
「これは私のものではない」と投影させるために作り上げたものだ。。。
もう、反論の余地がない。
エゴはめちゃくちゃ反発したけど、もう無理。
コースは妥協のない教え
反論できないくらい、しっかりとした理論が整っている。
※ここから先、ちょっと強めの言葉が入っています。
メンタル心配な方は、ここでこのブログを閉じてください!
コースはキリスト教みたいで
抵抗感が。。。
と言っているそこのあなた
あなたが幸せなら、何の問題もありません
コースを学ぶ必要もありません
あなたが幸せでないなら
あなたが信じているものが間違っているのかもしれないと
そろそろ気づかないといけない。
言葉を超えないと
形式を超えないと
真理には辿り着けない。
なじみのある思考に浸っていても心の平安が得られていないなら、その馴染みのある思考はあなたを平安に導いていないということ。
あなたを真の平安に導いてくれるのは
耳に心地よい言葉ではないかもしれない
あなたにとって聞きたくないことばかもしれない
それに気づかないで
いつまでも
被害者意識と自己憐憫に浸り
「不幸な私」を演じ
「目覚めたくないふり」するのは
もうやめて
今すぐ心の平安への一歩を踏み出してほしい!
たとえそれがコースであっても
他の何かであっても
それはあなたの選択。
過去に八方塞がりだった私へ
今の私が時間を壊し
コースを学べ!と
過去の私に教えています
コースに使われている用語は形式は従来のキリスト教に則っていますが、
それは従来のキリストの教えとは全く逆で
「人類に罪があるというのは誤りです」
という
決定的なメッセージを伝えるため
地球史、特に西洋文化・社会に
最も影響のある宗教と言える
あえて「従来のキリスト教」の形をとって
心理学という二元性の枠組みを使い
21世紀という時を選んで
やってきたものです
従来の宗教は政治の道具や
「自分たちの宗教・神こそ真理である」
という、戦争の大義名分として使われてきた。
それは
「真理は人によって文化によってみんな違う」と見せかけ
二極化・多極化させることで混沌に陥れ
真理へ目覚めせさせる道を塞ぐ。
それはエゴが仕掛けたトリック!
エゴに捕えられれば
コースでさえ宗教戦争のもとになり得ます。
聖霊と共にコースを真摯に学ぶならば
私たちが見ている世界は「作り上げられた夢」
であると気づくことができ
神への目覚めを妨げている障壁を取り除き
完全な無条件の愛へ至ることができる
もう一度、言いますが
コースだけが唯一の真理を表す思考体系であるということはありません。
ただし、真理はたった一つです。
ここを勘違いしてはいけないのです
それは、エゴが作り出したこの混沌の世界では
さまざまな形をとるかもしれません。
空海の言葉かもしれないし
シラーの詩かもしれないし
トルストイの文学作品の中の一文かもしれない
言葉は象徴です。
天皇は日本の『象徴』と説明されますが
日本『そのもの』ではありませんね
言葉そのものが真理なのではなく、
言葉の奥に、
たったひとつの
道、真理がそこにあるのです。
山の頂上へ辿り着く登山ルートは
複数あるように見えるから
どのルートが速く効率よく辿り着くのか?正解か?
を選ぶことが真理を見つけることではなく
登り切ったものだけが
山頂にたどり着いたものだけが
上から見下ろし
どのルートも頂上には繋がっていたことがわかる。
だけどその眺めを見られる頂上は、一ヶ所しかない
ということ
あなたは
正しくありたいのか?
それとも
幸せになりたいのか?
J兄さんは
私たちに問いかけています。