「私は『罪』なんて犯してないし

『罪悪感』と言われても、ピンと来ない。」

そのように感じても、実はそれは当たり前なのです

 

 

 

なぜなら

『罪悪感』は

無意識の奥に隠されていて

ふだん意識することは、ないからです。

 

 

 

焦り

文句

不満感

ちょっとした不快感

嫌悪(小さな怒り) 

寂しさ

孤独感

自己憐憫

被害者意識

激しい怒り

殺意

 

 

 

こういった感情は

『罪悪感』とは「違うもの」と認識され

大小序列をつけられ

別の言葉でカモフラージュされていますが

 

 

このような感情の

すべての原材料は罪悪感であり

幻想の二元性の世界仕様

細工されているだけ

『罪悪感とは違いますよ〜』という

無関係を装っている感情なのです

 

 

 

 

シンプルなものをわざと複雑にし、混沌を生む

エゴのお決まりのトリックですね。

 

 

 

 

これらの感情を

どのような時にその感情を感じるか?にフォーカスし

奇跡のコースにプログラミングし直すと

 

 

時間が足りないという不足感から焦り

 

『条件が揃ってないと満たされていない』という欠乏感から

不満・文句を言い

私は不完全だから、その穴を埋めてくれる誰かが必要という欠乏感から寂しさや孤独を感じ

外側のものから攻撃を受け得る卑小な弱い存在という信念から

自己憐憫・被害者意識が生まれる

 

 

不足・欠乏・卑小さ。

何度も言いますが

エゴが気づかれないように、とカムフラージュしたもので、

材料はたった一つ、罪悪感です。

 

なぜ、カムフラージュする必要があるのでしょう?

無意識に隠す必要があるのでしょう?

 

 

 

それは、

 

 

 

エゴがかくしている『罪悪感』は

感じていたら、生きていけないほど

おぞましいものだからです。