逢わない人がいる。
元気にしていれば、
それで良い。
なぜ、逢わないか?
逢っても、
答えが同じだからだ。
逢う必要がないんだ。
22才でオートバイで交通事故をし、
病院のベットの上から手紙を書いた。
そして、オートバイ仲間が
その手紙を持って
横浜まで走ってくれた。
その手紙が、
コピーして残してある。
たぶん、コピーが
1枚100円の時代だ!
10月10日は亡き母親の誕生日だ、
そして、1964年に生まれた
暴走族の大将の誕生日だ。
因みに、
1964年に生まれた自分は
51才になる。
51年前から、
オートバイクラブをやってる。
まず、自分は人を尊敬しないけど
尊敬する一人だ。
その手紙のコピーを掲載しておく。
(左が車椅子のオートバイ乗りの石川画伯、闘いのパートナーです)
ケンタウロス ボスへ
私は、11月9日に交通事故で右足を失ったいちRIDERです。
名前は宮井留志 年は22才
職業は広告代理店に勤めています。
現在休職中です。何らかの宗教には属しておりません。
岡崎のLAFORCEというM.C.CLUBの者です。
ケンタには、何度か寄ったことはありますがボスは覚えはないと思います。最後に寄ったのは、去年の8月14日、丁度オタツさんの弟さんが来ていていっしょに昼 ソバをご馳走になったことを覚えています。自己紹介はこれくらいにして本題に入りたいと思います。今、私は、まだベットの上の生活をしています。考える時間は十分過ぎるほどあります。事故を起こしてから4ヶ月、病院のベットで色んなことを考えてきました。
オートバイとは何か、自分という人間について、神とは、愛とは、楽しみってなんだろうかと、人間らしさって何か、人間とはなにか、なぜ人には欲があるのか、などということを考えてきました。そして、それぞれの疑問はある程度みえてきたのですが、生きるということはなんだろういう基本的な疑問にぶちあったのです。
人間の欲のために、人は泣き 又、自然は壊されてゆく。人間が生きるために必要最小限の犠牲は自然の法則として仕方のないことだろう。動物、植物、大地、水、空気、なにもかも今、我々人間が私欲のために殺し、壊し、汚し、自然界のバランスをくずしている。人がこの地球に現れてから現代に至るまで約1億年としても、地球が出来てから40億年分の1 長い年月をかけ、地球が造り出した万物を人類はほんの一瞬で破壊してよいのだろうか、それも、この地球のもつ運命なのだろうか、そして、運命という便利な言葉でかたずけてすむ問題なのだろうか。このままでいいのだろうか。人としてすべきことはなんだろうかと考える。でも、考えてみても自分自身もこの社会に生きているのだし、今、この生活から自分が抜け出すことも出来ることでもない。自然を守れと言って、木を切り、体を鍛えながらタバコを吸うようなこの社会から抜けだすことが出来ないのは事実なのだから否定しようがない。働いて金を得て物を食べて子供を育て老いていく、それが人生なら、なんと悲しいではないか。矛盾だらけの社会。子供を生むことが、人の人たる意義なら、人は今、人口増加に頭をかかえているではないか。なんでも度が過ぎるから、いけないんじゃないだろうか。犠牲のもとにできる生活、人は金に走り、心をなくし、なんと悲しい社会なのだろう。だから私は行き詰まってしまったのです。この社会における中で、人間の本来の生きる価値って何だろうかと。ボス、是非、お答えください。
この社会における人間の本来の生きる価値とは何かということを、22才のヒヨコに教えてやって下さい。お願いします。 生きるとは何か。納得した答えがでるまでは、私はオートバイに乗ることはないでしょう。最後に一言、言わせてやってください。
バイク好きな奴、皆、バカだよ。大馬鹿だよ。足が千切れ、手が折れて、内臓破裂で動けない時、足のなくなった悲しみよりも、バイクに乗れない悲しみで泣いているんだから、俺の足を奪ったバイクなのに、そんなバイクのために涙ながすんだから、バイク好きなんて大馬鹿野郎だ。
言いたい放題、言ったことをお許しください。
また、乱筆乱文をもお許しください。
敬具
62年3月6日 宮井留志
PS.出来れば考えたいものですか書面で
ご返事いただければ嬉しく思います
http://ameblo.jp/laforce381/entry-11569441106.html
人を変えるより
自分が変わった方が早い。
人は自分で
気がつかないと変われない。
行動で背中を魅せて
感じてもらうしかなさそうだ!

