意思を持たない国民性 (日本分割統治計画) | 義足のオートバイ乗り ルーちゃん

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自然エネルギー・社会問題・フレンチブルドッグが好きです。



薬害肝炎名古屋の副代表です。
薬害根絶に闘っていますが
無党派です。

意志を持たない国民性は、今に始まった話ではありません。




日本は統制された国家。天皇制のことです。



それを物語るは、日本列島分割統治案。
敗戦末期に、重光葵外務大臣はGHQに直訴している。



天皇陛下の下、既に統治されているので
それを利用してくださいという意味にも取れますね・・・




1945年9月2日の戦艦ミズーリーでの

降伏文書署名は、まるでショーのようであった。近年でもテレビでみた記憶はあります。



足を引きずる重光外相は、
1932年の上海での爆弾事件で右足を失っている。




降伏文書の署名では、欄を間違える代表者がいたが、日本側の訂正の依頼も、既に祝杯をしていてそのままだった。




屈辱だっただろう・・・



戦争屋にとってはゲームなのだろう。
安倍政権の異常性も、その感覚なのかもしれない。


願くは 御國の末の 栄え行き 
我が名さけすむ 人の多きを(重光葵)




さて、



昨今、宗教を利用した争いのニュースに目を覆いたくなるが、たかがメディアに心を乱されないようにしたいものだ。



報復や復讐などという言葉が国政の場でも飛び交うご時世だが、スリランカは第二次世界大戦の戦後補償を辞退した国。



理由は、私達は仏教の国です。だった。
そして、日本が分割統治がされなかったのは、同じ仏教国のスリランカの主張のおかげだとも思う。






自分は宗教家ではないが、
毎日のおつとめは欠かさない。
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もう、8年になる。



ある時に、気がついた!



葬儀と云うセレモニーは、
残された側の人間の心を癒すために行われている。






祈りの信仰は、宗教を問わずに
日々の生活の中にあるもので、
イベントにするものではないと思えてならない。