ある時に、脊椎損傷で首から下が
不自由になったオートバイ乗りを紹介された。
若かった僕は、
「しけた顔をしてんじゃネぇ!」
と一喝した!
そして、文通を始めた。
カヌーを始めたと手紙にあった。
初めは大きな震えた文字が、
小さくなっていった。
やがて自動車免許を取得!
初めに助手席に招待された。
嬉しかったが怖かった(笑)
8日、ソチのパラリンピックが開催された。
パラとは、もう一つという意味。
同じ障害者と云うカテゴリーに属している者としては、
努力という感動の共有が出来るので自然と頬が濡れる。
ウクライナは、当初、クルミア自治区におけるロシア軍の介入に抗議の意味を込めて不参加を表明していたが、世界に訴える為に参加した。
ウクライナの選手は旗手の一名のみ。
他の選手はウクライナの国旗を掲げて、街でデモをしていたようだ。なんという事だろう・・・
この場を夢みて選手たちが、どれだけのハードルを乗り越えて来たのか武器を持つ兵士には理解出来ないだろう。
悲しみの顔に写る・・・
98年長野パラリンピックを見にいって考え方が変わった。
もちろん、オートバイで走った。
観戦の夜はユースホステルで一緒になった人と街に繰り出した。
以前は義足とわかられないように綺麗に歩こうとしていたが、
それ以降は義足でも綺麗に歩ける事を
皆に知ってもらいたいと意識が変わった。
勇気をもらえた訳だ。
善光寺の参道でアメリカのアイススレッジホッケーの監督に
声を掛けられた。
日本の監督に紹介したいから、
ホッケーをやらないか?
その瞬間に決めた。
走り高跳びを、もう一度やりたい。
少しばかり経験があったからだ・・・
シドニーには、走り高跳びで出場するよと伝えた。
ロン毛をスキンヘッドにした。
トレーニングを開始した。
体重を20キロ落とした。
会場では、いつもサングラスにスキンヘッドww
日本記録を持っていた時期もあったが、
残念ながらシドニーのパラリンピックは出場出来なかった。
遠い昔の話です♪
こんな言霊を聞いた。
「失くしたものを数えるな」
まさしく、その通りだ!
障害は個性だ!
乗り越えれば、己を輝かせる武器にも変えれる。





